進歩人類お悩み相談室
以下の文章は、僕が歩くこととその周辺について考えているときに、頭の中に巡っている(歩いている)何かを流れるがままに記した雑文です。脳内メモです。
正直、読む価値はない。けど、歩くことがいったいどこまで派生するのか(勝手に歩き出すのか)、その欠片をばら撒いておくのも面白いかもしれないです。知らんけど。
というエクスキューズなしに文章を載せられないのは悲しいことだと思うけれども、それも誰のせいでもなく、自分のせいである。
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自分の足で歩かないから大きく失敗する。新幹線で一足飛びに走り去った道のりを自分の力と勘違いして、今度はその道を思い切り走ってみると足元の小さな溝に落ちて大怪我をする。下手すれば川に落ちて流されて死ぬ。自分で歩いていれば、溝の位置と深さが目視でわかる、川沿いの崩れた道も分かるから、慎重に歩く。歩く速度なら溝に落ちても骨折程度で済む。命までは取られない。つまり、歩くことは、よく見えることだ。足元を見ろ、とか、地に足をつけろ、とか言うでしょ。それは自分の足で歩けってこと。ぼうっと突っ立ってるときにどれだけ足元を良く眺めても、移動は全部車。なんてことじゃいけない。
人間の移動で一番遅いのが歩く速度で、テクノロジーの何よりの自慢は歩く速度よりも必ず速いことだった。速いことは良いことだ。スモール・イズ・ビューティフル、なんて言った理想経済学者もいたけれども、現実はファースト・イズ・ビューティフル。テクノロジーが目指し続けてきたものは、速度の向上。速度が上がれば生活は豊かになる。便利になる。3時間掛かっていた移動が、家事が、10分になる。やったぜ! 2時間50分も余った! なんという豊かさ。たっぷり時間を使って、人間的な豊かさを享受しよう。本を読んだり映画を見たり健康で文化的な最低限度の生活をしよう。速くなったんだから。便利になったんだから。余った時間はゆっくり使えるはずだ。遅くなることを便利と言わない。より遅いものを最新のテクノロジーとは言わない。1時間が10分になり、1分になり、1秒になり、0.1秒になり、0.01秒になり・・・ まさに最先端のテクノロジーはこの0.00001秒を死に物狂いで争っている。全人類を幸せにすると本気で信じている天才たちが全力で努力している。だが、しかし。何かがおかしい。僕たちには2時間50分の余暇がない。あるはずの時間。それはいったいどこへ消えたのか。僕は一日の半分はお茶を飲みながら映画を見るなんて健康で文化的な生活がしたいのに、なんで毎日残業してるのかな。
江戸時代の絵師、葛飾北斎は数々の滝を巡り描いた。諸国滝巡り。現代の芸術家も同じように滝を描くことができる。CGでも滝を作れる。せきぐちあいみさんという、通称?美人過ぎる?CGアーティスト?は、VRで3D空間に立体的に浮世絵風の絵を描い。凄いテクノロジー。峰フジ子のような全身黒スーツのうら若きピチピチ美女が仮想空間に富嶽三十六景ばりの名画を描く未来が訪れるとは、さすがの北斎でも想像もできなかった。想像できていたら、かの北斎ならば娘の応為にコスプレさせてまで描いていただろうが、どうやらそんな絵はいまだに発見されていないようだ。CGアニメの世界的スタジオ、ピクサーの映画では、海や滝の流れをコンピューターでリアルにシミュレーションする。何百万ものパーティクルを出して水の流れを作り、物理演算でリアルに再現する。習熟すれば、本物と見まごうばかりのものが出来る。最近の映画は全部そうして作られる。演者たちはみんな真緑色のスクリーンの前で演技をする。もう大規模なセットなんていらない。そう、まるで僕たちは北斎と比べてどこまでも進化しているようだが、実際良く見るとそうでもない。良く見るとは、歩く速度で見るのだ。歩く速度なら良く見える。結局、やってることは滝を描いているだけだ。北斎の滝も、CGの滝も、どちらも同じ滝。それだけだ。それは滝。滝は滝。滝を描いている人間も、同じ人間。難しいツールを使っても、コンピューターを使っても一緒だ。滝を描く。同じことをしているのだ。CGクリエイターは北斎よりも優れているだろうか。優秀だろうか。進化しているだろうか。同じである。道具が違うだけで、同じことをしている。人間は進歩していない。北斎より3時間速く滝が作れてなんだというのだろう。何なら北斎の数倍は残業しているというのに。というは多分北斎は残業していない。健康で文化的な最低限度の生活をしていたんじゃないかな、と勝手に想像してみる。むしろ残業の無い北斎が羨ましいくらい。残業の話はどうでもいいけど。
テクノロジーは人間の限界を広げたのか、あるいは、人間を変えたのかと考えてみる。生活はとても便利になった。速くなった。人口も増えたし豊かになった。僕たちは変わったように思える。人間が進歩したのだ。でも残念だ。全部思い込みに過ぎなかった。僕はこれには心底がっかりしている。愛車のプレリュードを高速でかっ飛ばすことで自分が偉くなったと勘違いしていた、とプレリュードのフロントが全壊するほど酷く事故った後に、運良く生き延びたのに死んだような目で語ったのは、僕の友人のトール君だけれども、そうだ。そうじゃない。トールくんは偉くなったと勘違いしたのでなく、速くなったと勘違いしてしまった。速くなった分、その速さを制御できると思ってしまった。もちろんトールくんは追いついていない。僕も追いついていない。速度に。身体が。精神が。自分の歩ける速さと同じレベルでしか、僕たちは本質的に理解できない。1時間は1時間だ。本当はこれを10分には出来ない。ひざの擦り傷を3秒で治すことは出来ない。絆創膏を貼るにも10秒は掛かる。そして絆創膏を貼って治ったとは言わない。傷を治すのは時間で、それは3日なら必ず3日掛かる。これが僕たち人間の本来の時間で、こればかりは速くならない。トール君の胸にしっかりと刻まれた一直線の美しいシートベルトの痣は、一ヶ月以上消えることはなかった。人間は生物だから。人間は生物だから、と僕は言った。当たり前のことなのだけれども、これもまた知っているようで誰もが知ったかぶりをしていることのように僕には見える。理解しているふりをしているだけで、理解出来ていない。理解出来ていないことを知らないことが不味い。でも、これは無知の知。僕は希望も感じている。人間の限界は広がらないのだから、人間の限界を知ればテクノロジーの範囲もわかるはずだ。我思う、ゆえに我あり、ではない。我身体ある、ゆえに我あり、である。我シートベルト痣ある、ゆえに我あり。我残業ある、ゆえに我あり、ではあまりに空しい。テクノロジーは人間の限界を広げずとも、残業の限界を広げ続けているけれども。
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と、ここまで読んだところで、本文の最初の読者である道草氏は「残業の話はどうでも良くないですね」と喝破した。
そう、どうでも良くない。俺の愚痴を聞いて欲しいという意味ではなく、人間の限界とテクノロジーの限界との関係性において、どうでも良くない話なのだ。知らんけど。
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さて、歩くことについて書くのだった。
我々は何と言っても23世紀の最先端を生きる進歩人、過去の人類の悩みごと苦労ごとなどまるまるっとひっくるめて全く持って下らない旧式の人類の悩みであって、まさに進歩進化した僕たちはそんな低俗なことでは悩むことなど微塵もなく、もっと高尚かつ高潔、全人類の最大限のさらなる繁栄幸福に関わることにのみ頭を悩ますのである。
はい、それでは次の相談です。「婚約者のいる女性を好きになってしまいました。好きで好きでたまらず夜も眠れません。彼女は僕の全てです。もう我慢の限界です、明日告白しようと思っています。でも振られたら僕はもう生きていけないかもしれません。僕はいったいどうしたらよいでしょうか?」 えっと、東京都にお住まいの若木良照さん(21歳仮名)のお悩みです。なんだそんなことをまだ悩んでいたのですか。その悩みは450年前の人類がとっくの450年昔に解決していますよ。あ、正確には446年前です。今年は2220年ですからね。え、知らないの? あなたいまどき珍しい旧型の人間ですね。今の人類はそんなことで悩んだりしませんよー。まったく下らない。さあ、あなたの前に二つのボタンを用意しました。ヨシテルさん、放送を聴かれてますよね。ブラウザを開いてみてください。あなた宛に特設ページを送っていますよ。さあ、好きなほうのボタンを押してどうぞ。片方は告白して振られて自死するボタン。もう片方はきっぱり諦めて別の人を探して生きるボタン。あなたの未来はこの二つです。ん? もっと他にあるでしょって? ないですよ~、嫌だなあ、あなたと同じような若者がこれまでに何回同じ悩みを繰り返してきたと思っているんですか? あなたと同年齢の男性だけでも、全世界で7,588,394回ですよ。僕たち人類が把握できているだけでもね。いい加減進歩してくださいね。さて、どっちのボタンにします? ん? 告白したら振られるかどうか分からないじゃないですか? 上手くいく可能性だって数パーセントはありますよね? あなたの脳内はお花畑なんですね。いやいや全く本当に珍しい、なんとも珍しい旧型人間ですねあなたは。私はあなたの頭を二つに割って中を見てみたいくらいですよ。いやそれ実際に出来るんですよ、いまの進歩した技術なら。まあ、そんなことはどうでも良いですが、告白したら振られますよ。100%です。1000%ですよ。お相手の女性が実はあなたのことを恋い慕っていて望まない結婚を強要されるところヒーローのあなたが颯爽と現れて・・・、なんてあなたまさか本気で思っていませんよね。旧型人間の考えそうなことだ。実に古風です。無駄無駄ぁ! あ、これは200年前のギャグですけどね。というか、逆に素敵ですよ、あなたは。私はあなたのような夢見る人類が好きですよ。200年前まではたくさん存在していたらしいですよ、あなたのような人類が。まるで小学生の頃に読んだ古典小説の主人公のようだ。あ、好きっていうのは小動物がもぐもぐご飯食べている様子を眺めるのが好きってのと同じレベルですけどね。可愛いじゃないですか、あれ。あなたとっても可愛いです。頬っぺたいっぱいに悩みを頬張るハムスター! 実に愛らしい。現代の進歩人は全く持って素晴らしく進歩しましたが、この可愛さにどうにも欠ける。そこが我々の欠点かもしれませんねぇ! はっはっは!! ・・・さて、それでは次の相談に行ってみましょう、えっと大阪都在住の・・・
これは「進歩人類お悩み相談室」という2220年代に社会的ブームとなる予定のウェブラジオ番組のある放送回の相談だ。(※ここでまた道草氏の「2200年にウェブラジオがあるのか?」というなんとも鋭い突っ込みが入った。筆者の想像力の限界に関わる話である。知らんけど)。旧式人類の悩みを相談する体でこっぴどく笑い飛ばす番組で、僕がいま考えた。ありそうじゃないですか、こんな番組。こんな未来であって欲しい。とは僕も思わないけれども、まあ心配しなくとも大丈夫だろう。いまだに若木良照の恋わずらいを古典なんてありがたがって読み継いでいる僕たちは、結局何千年もの間ずっと同じことを繰り返し考え、同じことを繰り返し悩み続けて繰り返し死んでいく。僕たちの孫ひ孫ひいひい孫の代も、僕たちと同じように生きていくので、僕たちが歴史で人生でどれだけ悩んだことを伝えて、心からの愛を込めて僕たちと同じ苦労と失敗をしないように口をすっぱくして何度も何度も説得説明説教したところで、そんな叡智に満ちた愛の伝道を僕たちの世界の言葉では「老害」と呼ぶのだった。
悲しいことだ。進歩した人間は老害だ。迷惑なのだ。少なくとも、今の世の中では。僕たちは悩みを再生産し、再体験して生きていくことを選んでいる。誰もが人生は一度しかないのだから。同じ失敗を同じパターンで繰り返す。愚かなことだ。僕はとても悲しいけれども、でもそれで良いと思う。僕たちは愚かなのだ。そして愚かな老害もまた、同じパターンで再生産されていくのだ。これは運命で、因果で、業で、輪廻転生なのだ。
人間が身体を失って、脳だけになったとする。SFアニメの世界みたいに、円柱形のガラスケース内で無数のチューブにつながれた脳が液体に漬かっている状態を思い浮かべてみよう。脳は生きていて、思考も出来る。マッドサイエンティストが夢見る理想的にして最終的な完成された人間。不老不死の状態といって、この状態に人間は死ぬことがないらしい。
SF小説やアニメや漫画では、この状態で脳は普通に活動しているみたいだけれども、実際に脳だけになった人間はどうなるだろうか? と考えてみる。僕が思うに、恐らく発狂して、死にはしなくても(死ぬことは無いのだから)使い物にならなくなるだろう。うつ病ってやつだ。躁鬱、統合失調症とか、まあ何でもいいけれども、おそらくは心の病で脳は社会的な死を迎えるだろう。電気信号を適度に送って、エンドルフィンやらドーパミンやら、脳内快楽物質の量を調整してやれば脳はいつまでも気持ちよく生きられる、と考える向きもあるかもしれないけれども、僕はそれこそ理想主義的な考えに過ぎないのではないかと思う。身体があるということと人間があるということは、もっと良く考えてみたほうが良いかもしれない。我身体ある、ゆえに我あり。君ある、故に我あり。
さて、歩くことについて書くはずだったのに、テクノロジーの話になり、うら若きピチピチ美女の話になり、事故ったトールくんの話になり、未来のお悩み相談の話になり、老害の話になり、マッドサイエンティストの話になってしまった。
これがふらふらと歩いた結果である。
大丈夫、きっとうまくいくよ。
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miuraZen
歩く人
描いたり書いたり弾いたり作ったり歌ったり読んだり呑んだりまったりして生きています。
趣味でサラリーマンやってますが、フリーランスになります。