「読者へ届けないなら未完の記事も無いのと同義」という話し
「10分間チャレンジ」という企画をとおして
さまざまなメリットに気づいた今日この頃。
”10分間”という制約をもうけることで…
・時間配分の大切さを知った
・自分の文章を書く力量を知った
・書く楽しさに気づけた
・「とにかく書く」のキッカケを得られた
・内なる自分の考えをまとめられた
など、多くのメリットがあります。
わたし自身も「10分間チャレンジ」のおかげで
おのれの未熟さ加減を自覚する良い機会となりました。
あらためて、上には上がいると。
さてさて、企画をとおして
参加者様の記事を拝読したときに
ある気づきを得ました。
それは、
「投稿するには完璧な記事を投稿せねば」
といった強い意志を持っていること。
とくに
「有益な情報を発信せねば」と意気込む人ほど
上記の考えに固執しているように感じます。
ふむふむ、
これはイカン( ̄~ ̄)>
正直な話、
完璧な記事を求めるあまりに完成が遅れて
いつまでたっても記事が投稿されないほうが
わたしはもったいないと考えます。
それよりも、中途半端でいい。
いや、中途半端というより
ただただ自分の伝えたい考え方やマインドを
止めることなくおのれの筆に乗せて、書き殴って良し。
その中で、
あれもこれもの選りすぐりも必要なし。
とにかく、自分の
「ここだけは伝えたい!」に
集中して書き切るべし!!
そう思います。
✔読者へ届けないなら
無いのと同じ
「あ~でもない、こうでもない」と
悩みに悩みを重ねることは、
けして悪いことではありません。
多少なりとも、読者を意識するのであれば
「ぜひとも持ち帰ってほしい情報を提供したい!」
と考えるのはごく普通で、多くの人が通る道です。
ただ、読者の求める情報を自らの手で見つけて
その情報をスッキリと記事にまとめて提供する。
これは並大抵の努力では実現できない…
とてもハードルの高い行動です。
noteには、
凄まじく能力の高い人がひしめき合っているので
「これは時間をかけてるな~」と感じずにいられません。
そんでもって、能力の高い人ほど
シンプルにそつなく完成させるもんだから
素人目には「イケそう!」と考える人もいることでしょう。
ダメですよ!!
そんな高いハードルに安易に手を出しちゃ!!
「わたしでもイケる!」と思って
能力の高い人の記事をマネして作っちゃうと
すぐ挫折しますから。
作ってみて、
「あ~、この人の記事は
やっぱり努力して書いてるんだ~」と
思い知らされますから。
ちょっと、話しがそれました。
元の路線に話しを戻します。
けっきょく、何が言いたいのかと言うと…
普段から「書き慣れていない人」は、
未完でも何でも投稿しちゃいなさいという話し。
毎日投稿をやってる人は、
近況だったり書き殴りだったりの記事でいい。
とにかく書いて書いて
生まれた創作物を世に届けること。
じゃないと、日の目を浴びない作品は
この世に無いのと同義ですから。
世の中に届けた記事から読者の反応を見て
それから情報を研磨すればいい。
「これだったら、読者に喜んでもらえるな」
「この分野であれば、自分なら書き続けられるな」
そうした気づきは、
投稿して得られる副産物です。
ついでに言うと、文章力を向上させたいなら
同様に書いて書いて投稿しまくるべし。
「文章力がお粗末だから
恥ずかしくて投稿できない」
と悩んでいるうちは、まったく成長しませんから。
そこで悩んでいるあなたを横目に先人たちは
ぶっちゃけ話しを恥と思わずに、
どんどん公開してますよ。
そして、
読者の心を掴んでいくんです。
そういう人にファンは付いていくんです。
理路整然とまとまった文章で構成された記事も
ひとつの魅力だったりします。
ただ、人間って感情で動く生き物なんですよね。
そこに人の温かさだったり、人間らしさを感じなかったら
”あくまで情報”として処理されて、
読者はあなたの虜にはなりません。
ここらへんは難しいところ。
だからこそ、完璧な文章を作るよりも
無我夢中に書き殴った究極の自己チュー記事のほうが
好感を持てたりするもんです。
もちろん、読んだ人が不快な思いを抱かない配慮は
最低限はおこなうべきですよ。
そういった点を守ったうえで
自分の想いをドッカーンと読者へぶつけること。
とっても大事なんですよね。
さてさて、
ミカンのおいしい季節になりました。
あなたの未完を心からお待ちしております。
(つまらないダジャレですべるのはご愛嬌で)
では、また。
失礼します。