まちと人を変える、“起点”のひとつになり得る場所。アタシ社代表・ミネシンゴさんと考える「三浦と森林」
神奈川県や三浦半島の森林の現状を知るために「横須賀三浦地域県政総合センター」を訪ねた次は、森林とまちのお話。山奥ではなく、暮らしに近い場所にある森だからこそできることって何なんでしょうか。今回は三浦市で出版社「アタシ社」や美容室「花暮美容室」を運営するミネシンゴさんにお話を伺いました。7年前に三浦市に移住してきたミネさんには、三浦の町はどんなふうに見えていますか?
ミネさんが三浦に来たわけ
——最初に、ミネさんが三浦に来ることになった経緯から伺ってもいいでしょうか。
ミネ:以前は美容師として、東京で働いていました。23歳のときに腰痛で美容師を一旦続けられなくなって、美容雑誌の編集部に飛び込んだのですが、その頃にはもう東京にいる必要はないんじゃないかって思い始めていたんですよね。東京って、たぶん世界一美容師がひしめいている場所。美容師は技術とセンスさえあればどこでも食べて行けると思っていたので、レッドオーシャンのなかではなくて好きな町で仕事をしてみたい、と。それで地元の横浜からもっと南下して鎌倉で再度美容師を始めようと思いました。その当時は、「ローカルに行くと鈍る」なんて、まわりの人には言われたりしたけど。
——ローカルに行くと鈍る、というのは美容師としての腕がということですか?
ミネ:うーん、もっと抽象的な話だったんだと思います。感覚とか、野心みたいなもの。でも当時からそこには疑問もあって。とりあえず住みたいところに住んでみようみたいな感覚で逗子に移り住みました。
——ローカルに行くと、落ち着いてしまうというか、そういうイメージなんですかね。逗子に住んでからはどんなことをしていましたか?
ミネ:鎌倉でまた美容師を始めたんだけど、やっぱり腰痛もあって難しくて。なによりひとつの場所に留まって、同じ仕事をし続けるという美容師の仕事が、自分自身向いてないと思い辞めました。それでも美容師の仕事そのもののおもしろさや、美容室のまちへの在り方に深い興味と関心があったので。美容の現場も編集も経て、次は営業やマーケティングを学びたいなと思い、リクルートに就職しました。ホットペッパービューティーのネット予約が始まったタイミングで、美容室営業をしていましたね。美容業界がとにかく好きだったので、現場、編集、営業・マーケティングをやってきたことの集大成として2013年、30歳のときに「髪とアタシ」という雑誌を作ったんですよね。
——美容師を本気でやって、編集も学び、さらには営業といろんな道を経たからこそできた雑誌だったんですね。そこから、出版社の「アタシ社」になっていくんですね。
ミネ:そうなんですよね。雑誌を作って、書店に飛び込み営業して、販売して……というのがすごくおもしろかった。逗子に引っ越していたんですが、ちょうどその頃は「地方創生」「ローカル」という言葉が飛び交っていた時期で、逗子よりもう少し田舎に行きたいという気持ちもありました。それで、東京とギリギリ付き合えるくらいの移住先を探していたんです。渋谷を中心に半径100キロ圏内にぐるっとコンパスで線を引いてね。北は埼玉、東は千葉、西は熱海、南は三浦、みたいな感じ。結局、あるイベントで三崎まで来たときにこの(「本と屯」がある)物件を見つけて、家賃が3万だと言われたのでそのまま借ります!って。それが三浦に住むことになったきっかけです。
——へえ!三崎がすごく気に入って……とかではなく、物件がきっかけだったんですね。
ミネ:最初は三浦のことは全然なにもわからなくて、子どもの頃に遊びに行った「京急油壺マリンパーク」とマグロのイメージしかなかった(笑)。でも、実際に来てみたらめちゃくちゃ良かったんですよね。インフラは少ないけれど家賃が安くて、おもしろいお店がちらほらあって、週末は観光客もいて。「これからおもしろいことが起きる場所なんじゃないか」って、直感が走りました。
——地価が安くてチャレンジしやすいし、なにか起こりそうだぞ、と。
ミネ:そうそう。鎌倉や逗子は、ある意味もう完成されていて「これから」という感じはなかった。だから、三浦のそういう可能性にワクワクしたのかもしれませんね。
誰かの“自発性”が伝播するということ
——ミネさんが三浦にやってきたことで、その重力に引っ張られて移住してきた人や店を始めた人も多いんじゃないかと思います。観光客も増えて、京急としても「下町方面も楽しいよ」とアピールできることが増えました。
ミネ:僕はローカルライフマガジン『TURNS』で、いろいろな地域を取材してたんですけど、おもしろい地域には最初に飛び込む“ファーストペンギン”的な存在がいます。三浦の場合は、「ミサキプレッソ(MP)」や「ミサキドーナツ」を作った藤沢宏光さんでしょうね。彼の存在があったからこそ、僕もこの場所に惹かれたんだと思います。
——藤沢さんやミネさんが来たことで、三浦の町や訪れる人も変わっていったと思います。ミネさんご自身は、「まちづくり」として何か意識されてきましたか?
ミネ:僕自身は「町を盛り上げよう!」みたいなことは考えずにここに来たので。「町を編集する/つくる」なんてことは、おこがましくて言えないなと思うんですよ。美容室、雑貨屋や古着屋もやったけれど、全部自分たちがやりたいと思った表現をビジネスとして続けてきた感じなんです。その先に、観光客や若い人たちが集まってくる現象が起きただけ。ただ、表現するときに“起点を作る”ことは重要だと思っていますね。
——“起点”ですか……?
ミネ:世の中は水や大気の流れのようにいろいろなものが巡り巡っていると思うんですよね。そこに小さな石があるだけで、少し流れが変わって別の方向に向かっていくことってあるじゃないですか。大きな流れをちょっとだけ変えるような、そういう“起点”を作ることだったら少しはできるのかなと思っています。
——その“起点”に触れた人たちが、また新しいことを始めたり影響を受けたりするわけですよね。どんどんバトンのようにつながっていく感じ。
ミネ:そうそう。それはまさに三浦でも起きたことで、やっぱり藤沢さんが自発的にカフェやドーナツ屋さんを作って、それを見て僕は「本と屯」を始めた。そして、僕を見て「三浦で何かやろう」と思ってくれた人もいるのかもしれない。自発性がある何かを見て、みんなのなかに新しい自発性が生まれるんじゃないでしょうか。
——「自分がしたいことをしているだけ」ではなくて、その行動が他者に影響を与えるというのは、大切な視点ですよね。
ミネ:だから「みうらの森林プロジェクト」も、京急さんが自発的にやりたいことをすればいいんじゃないかな、なんて前向きで無責任なことを考えてしまいます(笑)。でも、それがひとつの起点となって、「三浦にとっての森林ってなんだろう」みたいなことを考え始める人が増えていくのかもしれないですよね。森の捉え方は人それぞれでコントロールできるものではないから、京急が自発性と役割を持って何かを始めるってことが大切なんだと思います。
——本当にそうですよね。三浦半島には京急だけでなく、他社や個人が所有する森林もあるんです。活用方法に悩んでいる方々も多いと思うので、京急がおもしろそうに動くことで次に続いてくれる人たちが出たら嬉しいな、と思います。
三浦の人々にとって「森」はどういう場所になれるのか
ミネ:正直、三浦の人たちにとって山や森は縁遠いものだと思うなあ……。やっぱり子どものときから海で遊んで、海鮮を食べてきた三浦の人たちに根付いているのは、海なんですよね。僕自身も横浜出身で海のそばで育ったのでその感覚はすごくわかる。幼少期や思春期に「そうだ、山へ行こう」という発想はまずなかった。
——根っこから海が染み付いてるんですね。
ミネ:ただ、僕自身は最近、山口県萩市に「本と美容室」の新店舗を構えて、以前よりも森や山が身近になったんですよね。ほかにも最近仕事で愛知や奈良の山間に行って、実際に森に入らせてもらうと、虫や植物が溢れかえるカオスな感じとか、マイナスイオンとか、海にはない感じが新鮮でおもしろいと思いました。海が「陽」だとしたら、森には「陰」の力がある気がします。
——そういう「陰」の部分って、どうやったら活かせるんでしょうか。
ミネ:僕だったら森をどう暮らしのなかに取り入れたいかな……。例えば、この辺は夜になると人が全然いないから、飲み会のあとに歩いて帰る道中なんて誰もいないわけです。港の小さな灯りの下に、船が静かに並んでて……いい意味で“ひとりぼっち”になれている気がするんですよ。
——夜の港の情景、すごくいいですね。
ミネ:そうなんです。ひとりになって内省できる時間があるたびに、僕は三浦に来てよかったと思うんですよね。ここだと東京や都心の混雑からちょっと距離を取って、自分を見つめることができるんです。そういう“ひとりぼっちの時間”を求めて、人は自然に向かっていくのかなと思います。海派か山派か関係なく、「自分」には興味があるから。
——なるほど。都心に近いけれど、ちゃんと落ち着ける自然がある三浦はちょうどいいですね。先ほどの「ローカルに行くと鈍る」とは対照的に、自然のなかにいることで身体性や自分自身の本来の感覚は尖っていくものなのかもという気がします。
ミネ:だから、そういう森があったらいいんじゃないかなと思うんですよ。外のノイズに邪魔されず、自分を考える空間って世の中に少ないから。感じる力が弱くなってしまったときに、自分が必要としているものに出会える場所として森があったら、僕は行くと思います。
つま先の向きが揃った人たちと一緒に
ミネ:いろいろ言ったけれど、さっきの自発性の話のとおり、やっぱり京急さんがやりたいようにやるのが大事だと思います。経済合理性とか住民に喜ばれることも大事だけれど、それよりも内側から生まれる「京急らしい個性」とはなんだろう、というのが僕は気になりますね。
——それは大事にしていきたいですね。長年まちづくりやインフラ整備に取り組んできた京急だからこそ、マスに受け入れられるものを作りたい気持ちは強いと思います。でも、森をどうするかと考えたときに、単純に「みんなが求めるもの」を作ればいいわけじゃないような気もしているんです。逆にミネさんから見て、京急電鉄らしい特色ってどういうところだと思いますか?
ミネ:やっぱり「東京と神奈川をつなぐ私鉄」というのはすごい強みですよね。売上が担保されている安定感があるからこそ、いろいろなチャレンジができるんだと思うし。電車をおもしろくラッピングしたり、駅名看板を変えたり、サブカルっぽいことするのも特徴ですよね。
——一方で京急のような企業が町に入ったときに、どんな動きができるんだろうか、というのも考えていきたいと思っています。ミネさんのように自己表現の先で町を変えていく方々との役割の違いは、どのように考えますか?
ミネ:規模の違う企業はできることが違うからこそ、協業しないと前に進まないところが必ずあると思っていて。官民連携や企業同士のコラボレーションという話は多いけれど、これからは「連携」ではなく「一体」になることで、社会的インパクトを生んでいくことになると思うんですよね。一種の共同体感覚というか、乗組員は違うけど、同じ船に乗っているイメージ。
——そうですよね。
ミネ:インフラやファンを獲得している鉄道会社は、まちづくりに向いていると思います。そういうプラットフォームである京急が、「みうらの森林」を活用して町に何かを起こそうとしていることに、僕はすごく賛成です。もし、そこにアイデアやつながりが欠けているなら、そこは僕たちのような小さな企業がソフト面で関われるのかもしれません。
——それぞれの強みを生かしていくことが、大切ですね。
ミネ:ひとつの企業やひとりだけで町を変えることは難しいけれど、やっぱり同じ方向性を向いた人たちが対話した先に何かがあると思うんです。つま先を同じ向きに揃えて進んでいける企業や人が増えたら、きっと町はわかりやすく変わっていくんだと思います。
取材を終えて...