見出し画像

拉致被害者有本恵子さんの父上、明弘さんがお亡くなりになりました。よど号犯による拉致を告発した高沢皓司著『宿命』発売時に書いた書評を多少修正して掲載します。

拉致被害者家族の有本明弘さんがお亡くなりになりました。

今更私が何のお悔やみの言葉を申し上げても、また、自分や日本国のふがいなさを語っても、ただむなしいばかりです。せめて、よど号犯の闇を最初に暴いた名著「宿命」について書いた書評を再び掲載させていただきます。この文章を書いてからももう長い時間がたつ・・・

「拉致問題は国家の最重要課題である」と、ほんとうに政権政党である自民党や、また野党をはじめ議員が思っているのなら、国会で、有本明弘さんに恵子さんを救い出せなかったことをお詫びするとともに、すべての拉致被害者をを断固奪還することをここに誓う、北朝鮮の国家犯罪は許さない、くらいのことは全党一致して宣言してもばちは当たらないと思う。断腸の思いとか痛恨の極みとかはもういい。たとえ言葉だけでも、日本の政治家が決意を示せば、それはピョンヤンにも伝わるのだから。

書評「宿命」高沢皓司著(新潮文庫)

洗脳がもたらす北朝鮮への忠誠

「『よど号』亡命者」――1970年のハイジャックで北朝鮮に飛び立った9名の赤軍派。60年代末、新左翼運動の行き詰まりの中、運動の新たな展開を夢見て行動した彼らの終着点は、金日成体制と主体思想への全面的な「帰依」であり、日本人拉致事件を含む北朝鮮の国家犯罪への荷担であった。

一時期はこの「よど号犯」と深く交流し、その後、自己批判を経て、彼らの思想・行動を告発する側に身を転じた高沢皓司氏が「よど号犯」批判の集大成としてまとめたのが本書「宿命」(新潮文庫)である(前述したように既に現在絶版、貴重な本なので再販を強く望みたい)。本書は、拉致事件の真相のみならず、かつての新左翼運動の本質的な弱点と、左翼に限らず政治運動が陥りがちな精神の退廃を教えてくれるものとして、大変興味深い資料となっている。

 よど号犯のハイジャックは、次のような目的と思想の下に実行されたはずだった。

「我々の大部分は、北朝鮮に行くことによって、それ自身を根拠地化するように最大限の努力を傾注すると同時に、現地で訓練を受け、優秀な軍人となって、いかなる困難があろうとも日本海を渡り帰日し、前段階武装蜂起の先頭にたつであろう。我々の大部分は、北朝鮮に断乎渡るのである。そして断乎として日本に帰ってくるのである。」(田宮高麿)

既存の社会主義国に渡り、そこを世界革命の根拠地にとする。この「国際根拠地論」は、それまでの新左翼運動による日本国内での「武装闘争」がことごとく失敗した後に打ち出されたものである。当時の日本国内に「武装闘争」の基盤などないにもかかわらず、かっての毛沢東やチェ・ゲバラのゲリラ戦をそのまま実践しようとしたのだから、失敗は当然だった。しかし、その現実を直視するよりも、外国に脱出すれば可能性が開けるという幻想にかられたのである。

ハイジャックにより北朝鮮を訪れたよど号犯を待っていたのは、ひたすらに主体思想を詰め込まれる「学習」の日々だった。高沢氏はこれをはっきりと「洗脳」と呼び、その「洗脳過程」を次のように説明している。

「思想教育は毎日の日課になっていた。(中略)ひたすら教育されたのはチュチェ思想のみである。(中略)1日の授業が終わると、決まって討論の時間があった」「教授や指導員たちの気に入る答は一つだけであり、それ以外の答え方をした者には、再び同じ学習が繰り返された。(中略)何度でも同じ学習を繰り返し、そうすることによって自分が気に入る答え方が他にないことを知らせた。(中略)本心からではなくても、やがて彼ら(よど号犯)は指導員が気に入るような答え方を探すようになった」

「彼らもまた納得のいかないながらも、チュチェ思想にのっとって模範的な解答をし、消化不良の部分は気持ちの奥にしまいこんだ。しかし、それはやがて彼らの自己を引き裂き、自己を解体した。(中略)異貌の思想を受け入れさえすれば、この虚しさから脱出できる。それだけではない、新しい価値と評価を手にすることができる。彼らは、そこにただ一点の光明を見た。(中略)もはや反抗する者はいなくなり、指導員の教えは砂が水を吸うように彼らの中に入っていった」

考えてみれば、北朝鮮という国で生きていくためには、この洗脳を受け入れるしかないことも事実である。しかし「よど号犯」がこの洗脳を受け入れていく過程で書き残している手記は、たとえ北朝鮮政府の厳重な監視下に書かれた(された)ものとはいえ、あまりにも無残なものである。

彼らは自分たちのこれまでの態度を自己批判し「現実を直視しなければならない」「自分に主体がなかった」「人民のためといいながらも、結局は狭いセクト利害ものを考えていた」等々、一つひとつを取ればもっともな問題提起をしているのだが、その結論として、北朝鮮の洗脳と主体思想を無条件に受け入れてしまうのだ。

「現実」を直視するためには、まず「現実」と衝突しなければならない。今、北朝鮮で自分たちが洗脳教育を受けている現実。自分たちが人民からまったく隔離され、北朝鮮の宣伝する「人民像」を抽象的に押しつけられている現実。こうした現実と格闘しなければ「主体的」に考えることは不可能である。彼らが「現実を直視」しなかった誤りを認めながら、さらに非現実的な妄想にのめり込んでいった悲喜劇は、やがて真の悲劇をもたらす。

洗脳がもたらす北朝鮮への忠誠「結婚作戦」と岡本武の謎

連合赤軍の「あさま山荘銃撃戦」による壊滅は、よど号犯たちの日本帰国の夢を完全に打ち砕いた。「国内に何の力もなくなれば、われわれの要求(軍事訓練を受けて革命戦士として帰国する)がチョソン側に受け入れられるはずがない。わたしは茫然とした気持ちを抱かざるをえなかった」(小西隆裕)

高沢氏の分析によれば、この後「よど号犯」はより一層金日成主義への傾斜を深める。「人民不信にもとづいた闘争の過激化、突出化は決して革命的なものにならない。大事なのは人民を信じることとチュチェ思想にもとづいた革命的世界観だ」これが彼らの連合赤軍事件に関する総括だったという。これは決して過激な武装闘争の放棄ではない。北朝鮮政府に屈服し、彼らの「革命的世界観」に基づく工作・宣伝活動に従事するという宣言に他ならない。

ほぼ洗脳が完了したとみなしたのか、北朝鮮は70年代初めに北朝鮮を訪れた作家、小田実によど号犯たちを会見させている。彼らは金日成主席とその政治を讃え、この国に来てから、自分たちは広い政治的意識を持てるようになった、人民のことをもっと現実的に考えられるようになったと語った。小田も無批判に、彼らの「成長」を評価している。外向けには、よど号犯は「日朝友好のプロパガンダ」となり、その裏面では工作教育が進んでいたのだ。

1977年、よど号犯は一斉に平壌で結婚する。日本から訪れた「妻」たちは、ほとんどが北朝鮮・金日成の熱烈な支持者であり、北朝鮮によって「花嫁候補」として選ばれて平壌に招かれた人たちだった。彼女らは「“チュチェの花嫁”、“首領様の花嫁”」であり、結婚、出産は「彼らの思想改造の最後の仕上げとして、金日成に絶対の忠誠を誓わせること」、また「子どもの誕生は組織の人員を増やす」という意味があった。

その他にも、「よど号犯」にとって妻子の存在は重要な意味を持っていた。「妻子は同時に彼らが海外の活動に出されるための『人質』にもなった。実際、彼らが単独で北朝鮮を出て、海外での活動を活発に始めるのは、子どもたちが誕生してのち、70年代末になってからである」

第13章から20章にかけて記された、日本人拉致事件への「よど号犯」とその妻たちのかかわりは、本書の最も注目を集める部分だろう。拉致犯罪について高沢氏は現地の貴重な証言を交えながら、細部にわたって綿密に証拠固めをしており、「よど号犯」の工作活動とその犯罪性に関する最もまとまった報告となっている。その中でも私が最も衝撃を受けたのは、拉致事件だけではなく、かれらの「反核運動」へのかかわりだった。

1980年代に西ドイツを中心に起こった反核運動の情報を、ウィーンから日本に向けて伝える機関誌「おーJAPAN」が、よど号犯たちが深くかかわり、反核宣言文に主体思想をすべりこませたり、若者を親北朝鮮勢力としてオルグしていたことを、私は本書で初めて知った。そしてこの反核運動は、ソ連によるポーランド民主化運動への弾圧から目をそらさせることにも成功したのだ。

一見政治的中立に見え、異論を唱えにくいテーマ(反戦、反核、平和、人権、環境等々)を唱える運動が、実はもっとも悪しき独裁政治に利用されてしまう。これは常に注意しなければならない問題の一つだ。

そして、この反核運動に対してもっとも積極的に動いたとされる岡本武は、他のメンバーと対立し、「日本人村」から切り離され、ついには北朝鮮からの脱出を試み、おそらくは収容所に送られてしまう。この岡本武の妻、福留貴美子さんは、よど号犯の妻の中で、おそらくただ一人、北朝鮮崇拝とは無縁の女性だ。岡本武が、最後にはメンバーと対立していったのは、おそらく福留さんの影響が大きかったはずである。

福留さんの自由な精神が、いつか岡本武の「洗脳」を解くことに繋がったのが、逆に二人にとっては悲劇をもたらしたのではないだろうか。福留さんを日本政府は「拉致認定」していない。その理由はいくつか挙げられているが、本来ならば日本政府は拉致事件として取り扱うべき事例ではないか。福留さんの拉致認定を通じて、岡本武の問題(工作活動並びに北朝鮮からの脱出並びに粛清?)に日本政府が本格的に取り組めば、よど号犯による世界的な工作活動解明・それを命じた北朝鮮政権の犯罪性を暴くことにも繋がるはずである。

1995年12月、よど号犯リーダーの田宮が「病死」した。よど号犯たちの思想と行動は新左翼運動の最悪の一例として、歴史に名を留めるだろう。

彼らは、うわべだけの反スターリン主義、反独裁を唱え、民衆の解放を求めながら、結局現実の民衆と出会うことにも、彼らのごく普通の心を理解することもしようとはしなかった。今現在の日常を生きているごく普通の人々のささやかな喜びや悲しみには眼もくれず、「革命」の為に人々を踏みにじる主体思想に屈服し、北朝鮮で飢えと抑圧下にある民衆の事を想像しようともしなかった。

さらには、留学生活や国外旅行を楽しむ同じ日本の若者を「それよりも革命に献身する事が意義ある人生なのだ」という傲慢極まりない思想で人生をもてあそんだ。何故このような精神の退廃が起きるのか、これはよど号犯問題を超えて、政治運動の人間精神に与える闇の問題として、常に見直さなければならない重要なテーマである。

 本書最終部で、高沢氏はよど号犯のなかで「粛清」されたと思われる吉田金太郎の悲劇について、アンデルセン童話「みにくいアヒルの子」を引用している。しかし、私が本書を読んだ後思い浮かべたのは、太宰治の次の言葉だった。

「じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。じぶんで、そうしても、他におこないをしたく思って、にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです」

「友情。信頼。私は、それを「徒党」の中に見たことが無い。」(終)

いいなと思ったら応援しよう!

三浦小太郎
勿論読んでくださるだけでありがたいのですが、できれば応援お願いします