書評「やがてロシアの崩壊がはじまる」石井英俊著 ドニエプル出版
書評「やがてロシアの崩壊がはじまる」石井英俊著 ドニエプル出版
ブリヤート・モンゴルを中心に本書を読む
三浦小太郎(評論家)
全体性を求めるロシアとイリインの思想
私はあらゆる文学の中で、ゴーゴリやプーシキン、そしてドストエフスキーなどを経て、ソ連におけるソルジェニーツィンをはじめとする様々な共産主義体制に反抗した文学者を含め、ロシア文学を継続的に愛読してきた人間である。ロシア文学の共通した魅力は、徹底した個の自立、伝統や共同体、あるいは家庭からの自立を追求し、ある意味文学をやせ細らせてしまった欧米現代文学と異なり、人間とは、共同体と伝統のもとでしか、さらに言えば、個人を越えた超越的な存在を意識しなければ正しく生きることはできないという強いメッセージを常に打ち出しているところにある。
これは文学や思想において極めて魅力的な、信仰と同胞愛のユートピアを描き出す。しかし、ここからが問題なのだが、この精神が政治的分野に直截的に結びつくときには、「ロシア人の考える理想の共同体」から離脱しようとする者に対しきわめて暴力的にふるまうことになる。トルストイの偉大なキリスト教思想は、もしもそれが現実政治のイデオロギーと密着した場合、恐るべき全体主義体制を生み出すだろう。そこではトルストイの理想とする「イヴァンの馬鹿」=「無垢のナロード」しか生きていくことはできず、あらゆる「悪魔=知識人、無神論者、反キリスト」は滅ぼされるか、収容所で「再教育」されることになるのだ。
現在のプーチンに強い影響を与えているとされるイヴァン・イリイン(1883~1954)も、このような典型的なロシア思想家の一人である。もっとも、現在のところイリインの著書の翻訳はなく、その思想はティモシー・スナイダーの『自由なき世界』(慶応義塾大学出版会)や石川陽平の『プーチンの帝国論』(日本経済新聞出版)等で部分的に読むことができるだけだ。しかし、この2著からだけでも、この特異なロシア亡命思想家が何を考えていたかは推察することができる。以下のイリインについての文章はこの2著から私なりに読み取ったものである。
イリインはロシア革命と共産主義支配に反対し、1922年、ドイツに亡命、その後1938年にはスイスに移り、最期までロシアの未来について、あるべき国家の在り方について荒野の預言を唱え続けた。イリインの作品はもちろんソ連時代は発禁であったが、ソ連崩壊後1993年には早くも全集が出版された(著名な映画監督でプーチン支持者のニキータ・ミハルコフも、イリインの熱心な紹介者である)。
イリインはある意味徹底した反近代主義、反個人主義の思想家だった。イリインによれば、神がこの世界を創造し、人間が誕生した時から、すでに世界は個人の感情や相対主義にけがされてその全体性を失っている。しかし、イリインはその世界で、ロシアだけは、ロシア正教の信仰に基づく、すべての民族が融和して生きている無垢な共同体国家でなければならなかった。イリインは、ロシアは確かに広大な領土を拡大し、多くの民族を国家の中に取り込んでいる。しかし「ロシアは生きた有機体」であって、ロシア正教はカトリックやプロテスタントと違い、恐怖や暴力で各民族を改宗させたことはなく、また、ロシア帝国は各民族を決して差別せず、ロシア民族への同化を強制したこともないと主張した。
ウクライナのみならず、ロシアのシベリア征服が虐殺と略奪を伴ったものだったことを想起すれば、イリインの主張は歴史的根拠などないに等しいのだが、19世紀のスラブ派思想家同様、イリインは現実のロシアではなく、彼の意識の中で理想化されたロシアの信仰と国家体制を提示する。そして、ロシア人はこの多民族国家を束ね、統治する立場にある。それはロシア人が「もっともキリスト教的で、文化的」であるからだ。イリインにとって、真のキリスト教共同体は世界ではロシアにしか残されておらず、この無垢な共同体としてのロシアを守らねばならないとする。共産主義革命は、この無垢なロシアに西欧由来の無神論を持ち込み、共同体の解体をもたらすものとして否定された。
さらにイリインは、共産主義ソ連に反対しつつも、もしもソ連が倒れれば、その後は「弱いロシア」が実現するとした。自由という美名のもと、意見が対立し混乱するロシア、共産主義の弊害から財政が破綻しルーブルが紙くずとなるロシア、ソ連の連邦制が各民族の独立をもたらし、それを利用する外国の干渉を受けて分割・植民地化されるロシア。これがイリインの不吉な預言におけるロシアの未来像だった。
イリインはその中でも「(解体の)最初の犠牲となるのは政治的、戦略的に無力なウクライナであり、好機が訪れれば、容易に西から占領され、併合される。」(『プーチンの帝国論』石川陽平)イリインは、続いて解体されるのはカフカス(コーカサス)であり、ロシアはたがいに敵対する各民族の小さな共和国に分割され、ロシア全土が「バルカン化」され、永久的な対立と内戦状態に見舞われると主張した。この言葉が、プーチン政権のみならず、ソ連解体後のロシア保守派にとって「預言の書」となったのは明らかだろう。
イリインはこのような解体と、彼にとってのロシアの滅亡を防ぐために、ソ連時代の連邦制を否定し、ロシア解体を防ぐためには戦争をも辞さぬ「民主的な独裁権力」の確立が必要だとした。この言葉に矛盾を感じるのは、イリインからすれば西欧の偏向した政治観なのである。イリインは「国家主義的で教育的な独裁」「自由を押し殺すことなく真の自由へと導けるような独裁」と述べ、国家が断固として法秩序を維持し、エリートを選抜、労働と生産の管理、祖国の防衛などに責任を持つ体制の構築を求めた。
世界の保守派の一部が現在のロシアに共感を抱くのは、このようなイリインの思想を引き継ぎ欧米的価値観を否定しているかに見えるプーチンに「国家の再興」を夢見ているからだ。このような思想に真っ向から対抗しようとしている人々の声を集約したのが、石井英俊氏の著書『やがてロシアの崩壊がはじまる』(ドニエプル出版)である。
ブリヤート・モンゴルの独立派から
本書では、コーカサス、ブリヤート・モンゴル、タタールスタン、ヤクート、クリミア・タタールなど、ロシアの各民族が、イリインの(そしておそらくプーチンの)世界観とは真っ向から反する証言が集められている。共通するのは、各民族は「クレムリンが依然として占領している捕虜国家」もしくは「モスクワ植民地主義」の支配下にあるという認識である。これまで、このような主張を日本語で読むことはほとんどできなかったことを思えば、本書はまず貴重な時代的資料となった。
私が最も興味を持ったのは、ブリヤート・モンゴルからの訴えである。
オペラ歌手であり、ブリヤート独立運動「トゥスカール」創設者のマリーナ・ハンハラエヴァは、自分の民族的、政治的覚醒はこのウクライナ戦争によってもたらされたと語る。ロシアは帝国時代も、もちろんソ連時代も歴史を隠蔽しているため、ブリヤート人が、ロシアに征服されたモンゴル人であるという意識すら彼女は持っていなかった。ロシア帝国時代に征服されたのちは強制的なキリスト教化を受け、ソ連時代はさらに仏教信仰もブリヤート・モンゴルの哲学、医学などの仏教著作や仏教遺産も破壊され、ブリヤート知識人たちも粛清された。
この歴史について少しだけ補足しておく。ブリヤート共和国はバイカル湖のほとり、人口約43万人で、ロシア系住民が6割を占めている。この地は実は、ロシア革命の先駆者、デカブリストが流刑された地でもあり、また、確かにロシアの侵略を受けたことは事実だが、モンゴル諸民族中、最も早い時期に西欧近代文明の影響を受けた地域でもあった。ここからは、ドルジーエフ、ジャムツアラーノなど、優れた知識人を20世紀に生み出している。
ドルジーエフは、辛亥革命後、独立したモンゴルとチベットの相互承認条約を結んだ中心人物であり、かつ、中国から自立するためにロシア及びソ連に接近、ヨーロッパ最初の仏教寺院をペテルブルグに建設した人物でもあった。しかし、彼はスターリン時代に粛清される。またジャムツアラーノは、ブリヤート・モンゴルの伝統的な法意識、生活習慣、共同体における相互依存についての様々な書物を著し、ロシアからも中国からも自立したモンゴル民族の(遊牧文化に基づく)精神を謳いあげたが、彼もまたソ連により粛清される。
この二人、そして20世紀初頭のモンゴル人たちに共通していたのは、すべての地域に住むモンゴル人たちが連帯する「大モンゴル」の国家を建設することだった。これは中国とロシア、いずれの大国の国益からも許し難いことであり、現在に至るまでこの思想は常に弾圧の対象である。そして、この大モンゴル主義が、少なくとも政治的な手段として公的に語られたのは、1919年2月、ロシア革命に対抗する白軍司令官、セミョーノフがモンゴル系各種族代表を集め、「大モンゴル国」をこの年5月にダウリヤ(ロシアと満洲の国境地域の都市)にて宣言したことに始まる。(先述したジャツアラーノはこの時蔵相に招請されているが断っていた)この大モンゴル国は名称だけに終わったが、少なくともスローガンとして、ブリヤートからトルキスタンを経てチベットまでいたる広大な大モンゴル構想を打ち出していた。これ自体は空想的すぎるものであり、逆にモンゴル民族の立場だけを考えたある種の大国主義とも言えなくはないだろう。しかし、常に中国とロシアなど周囲の大国によって分裂させられ、それぞれの支配下で苦しめられた民族の悲願であることも確かである。だからこそ、ここでのマリーナの言葉には歴史的な意義がある。
「私たちは『モンゴル世界』と積極的に協力し、関係を強化しています。私たちには『ロシア世界』(三浦注:それはイリインの言う、ロシア人が全ての民族を統治する世界である)は必要ありません。私たちには、祖先から受け継がれた歴史、伝統、文化規範を持つ独自のモンゴル世界があります。私たちは、モンゴル世界が力を合わせれば、ロシア世界の拡大に効果的に立ち向かうことができると信じています。」
20世紀のモンゴル独立運動の悲劇は、中国の支配を逃れるためには、ロシアの支援を求めざるを得ないという地政学的宿命を持っていた。唯一、別の可能性を開いたのが満州国建国と日本の中国進出である。モンゴルに自立した近代化の機会を与えたのが満州における興安軍学校であり、だからこそ同学校で日本語教育と近代的軍事訓練を受けたモンゴル人たち(いわゆる現在の内モンゴル自治区の人々)は、中華人民共和国において残虐なジェノサイドを受けねばならなかった。ブリヤートモンゴル人は、人口から言っても独自の独立国を持つためには、国際的なモンゴルの連帯が必要である。日本が再びこの人々の支援者として建てるか否か、それがいま私たち日本にも問われているのだ。
このブリヤート人について残酷なある事実を述べておけば、現在、ウクライナ戦争に動員されているロシア国内の民族中、男性1万人当たりの戦死率が高いのはトゥパ共和国(シベリア連邦管区)とブリヤート共和国出身者である。(「ロシア・ウクライナ戦争とロシアの少数民族 ブリヤート人の戦死率を中心に」真野森作(毎日新聞外信部副部長))そして本書「やがてロシアの崩壊が始まる」によれば、ブリヤート独立運動はブリヤートの兵士たちにロシアへの加担をやめることを呼びかけている。
クリミア・タタールの「強制連行とジェノサイド」
もう一つ、興味深く読んだのはクリミア・タタール人、スレイマン・マムトフ、アキム・ハリモフの証言である。クリミア・タタール人の歴史で最大の悲劇が、1944年5月18日にスターリンによって強行された強制移住である。第二次大戦中、ドイツ軍がクリミアを占領した際、クリミア・タタール人がドイツに協力したということから、スターリンは同地のクリミア・タタール人を故郷から引き離して、中央アジアやシベリアに約20万人を強制移住する。ほとんど準備も許されず、貨物列車に詰め込まれたクリミア・タタール人は「特別居住区」と言われる劣悪な閉鎖地域に送り込まれ、そのうち7万から9万が死亡したとされる。これは民族集団そのものを犯罪者とみなしたという意味では、まさにジェノサイド政策である。
スターリン批判後、クリミア・タタール人は閉鎖地域からは解放され、彼らは共産党独裁体制の中でも、果敢な民主化運動や人権運動を繰り広げている。クリミア・タタール人の指導者のひとり、ムタファ・ジェミレフは 1969 年、サハロフ博士らと共に「ソ連邦人権擁護行動委員会」を結成している。ゴルバチョフのペレストロイカ以後、1989 年にはソ連邦最高会議が強制移住を違法で犯罪的な行為であったことを認め、クリミア・タタール人の帰還が正式に認められていく。1998 年、ジェミレフはUNHCRから難民問題への取り組みへの貢献として「ナンセン・メダル」が授けられた。
帰還後のクリミア・タタールについては様々な問題が生じている。しかし、以上の歴史的事実を前提とすれば、スレイマン氏の「ウクライナ国家の中で、先住民族としてクリミアで自治体を持つという未来を作りたい」という要求は決して無理なものではない。そして、クリミアの独立は安全保障上もエネルギー上も不可能であること、ウクライナ共和国の一部であるという前提での権利を求めているのも現実的な方針である。「ウクライナ領土の一体性を損なうことなく、先住民族の権利」を求めるという姿勢が、おそらくクリミア・タタールの歴史的悲劇をいやす唯一の道だろう。
なを、クリミア・タタール人同様の運命をたどったのはロシアの朝鮮人である。ロシア帝国の時代、極東の沿海地域に移住していた朝鮮半島北部の農民たちは、1937年、スターリン時代に、日本が朝鮮人たちに影響を与え反ソ活動やスパイに活用するのではないかという被害妄想から、朝鮮人たちをカザフスタン、ウズベキスタンへと強制的に移住させた。そこでの過酷な生活とロシア化政策のなか、すでに彼らはこのような独立運動の会議にも参加してはいないようだ。2024年10月現在、北朝鮮の兵士がウクライナに派遣されているというニュースが報じられている。スターリン体制が作り上げた最悪の全体主義国家北朝鮮が、今ロシアと強調し自国民を傭兵のように差し出していること、これは過去の歴史問題ではなく現実の朝鮮人の悲劇である。
新たなロシア帝国か、各民族の自立か
本書に登場する各民族の主張で既視感を持つのは、その多くが、ロシアにおける民主改革派、自由主義者たちに対してほとんど期待感を持っていないことだ。これは中国の民主運動家に対する、ウイグル人や南モンゴル(内モンゴル)の独立派にも実は共通する心理である。もちろん彼らも、各民族の独立や自決を認める、良心的な中国人民主運動家がいることは理解しており、またチベット人においては、ダライラマ法王の唱える中道路線もあり、より対話路線を持つ人もいる。しかし、各民族の本音の部分では、現在の中国政府のジェノサイドとも言うべき民族弾圧は、共産主義によるものではなく、そもそも漢民族の伝統的な中華思想によるものだと考えている人は少なくない。
ソ連は、実は特にモンゴルの20世紀初頭の共産主義者にとっては一つの理想郷として映っていた。その連邦制は、各民族の自治が最大限に認められ、同時に大国の庇護下に民族の安全をも守られるものに映ったのである。中国からの独立を退け、中華人民共和国の自治州としての存在に内モンゴル(南モンゴル)を誘導していながら、同時に、モンゴル民族の伝統文化を最後まで守ろうとして文化大革命時代に失脚したモンゴル共産主義者、ウランフ―の行動はそのような視点から考えるべきものだろう。しかし、実際のソ連の連邦制は、中国における各民族の弾圧よりは多少穏やかで形式的には各民族文化を尊重した面はあったとはいえ、本書で訴える様々な証言によれば、やはり大ロシア共産主義帝国による収奪と植民地支配の面が強かったことは事実であろう。そして、現在のプーチン政権は、各民族の自立こそが、ロシアに破滅をもたらすのだという新たな帝国理念を明言しているのだ。
プーチンの民族独立に対する理念が最もわかりやすく表れているのは以下の演説である。プーチンがソ連、特にレーニンの民族政策を批判するのは、ソ連邦の民族主義者に譲歩し、連邦からの離脱の権利を含む民族自決権を与えたことである。
「まさにこの、本質的に連邦制の国家体制を作るべきというレーニンの構想と、分離までをも含む民族自決の権利についてのスローガンが、ソビエト国家の基盤となった。」
「なぜ旧帝国の周辺地域で絶え間なく高まっていく民族主義者たちの野心を満たしてやる必要があったのか」「しばしば恣意的に形成された新たな行政単位である連邦共和国に、広大で、しばしば何の関係もない領土を譲渡する必要があったのか。」
「事実上、これらの行政単位には国民国家の地位と形態が与えられていた。改めて考えてみると、なぜそのような、最も熱烈な民族主義者たちでさえそれまで夢に見ることもしなかったような気前のよい贈り物をし、しかも統一国家から離脱する権利を共和国に無条件で与える必要があったのだろうか。」
これは2022年2月21日の国民に向けたプーチンのテレビ演説であり、この3日後の24日、ウクライナ侵攻が始まる。プーチンはここで明確にスターリンの側に立ち、レーニンとソ連が、各民族のソ連邦からの離脱を認めていることを、各民族主義者への無原則な妥協、ロシア解体につながるものとして全否定している。この言葉はイリインの思想とまさに直結するものだ。 プーチンがスターリンに先祖がえりをするような姿勢を打ち出したのは、ロシア国内の様々な矛盾があるだろう。しかし、このウクライナ戦争が、ロシアによる各民族の意識を、今はまだ限定的とはいえ覚醒させたこともまた事実である。戦争という悲劇が人間の意識を覚醒するというのは歴史の逆説かもしれないが、『やがてロシアの崩壊がはじまる』が、ロシアの真の民主的覚醒と各民族の自決を予言する書となることを祈りたい。