昭和天皇とウィンザー公
私が大変すばらしい写真だと思う一枚を紹介します。昭和天皇並びに皇后陛下と、ウィンザー公ご夫妻の写真。1971年に撮影されたものです。
ウィンザー公はご存じのように、1936年、エドワード8世として国王に就任しながら、アメリカ人で既婚者のシンプソン夫人との恋愛をとって同年12月に退位しました。イギリス王室からすれば大変な裏切り行為で、フランスに事実上「亡命」、一時は王室とは絶縁状態となりました。退位後は「ウィンザー公」という名称となります。
ウィンザー公にとってさらにイギリスとの関係を悪化させたのは、ナチス・ドイツとの関係でした。ウィンザー公はドイツに親近感を持っており、1937年にナチス・ドイツから国賓待遇で招待され、周囲の疑念を押し切って、夫妻として訪問しました。当時イギリスは戦争を避けるためドイツとはチェンバレン政権の融和政策をとっていたとはいえ、やはりナチス式敬礼で迎えられ、それに応じるウィンザー公の姿は刺激的過ぎました。
第二次世界大戦勃発と、当初のドイツの快進撃、パリ陥落とフランス降伏といった事態の中、ウィンザー公はイギリス内の和平派と共に、ドイツとの早期和平を働きかけようとしました。ウィンザー公自身は戦後、ナチスに賛同していたのではなく、イギリスもドイツもともに愛する立場から、とにかく戦争を終わらせたかったと述べていますし、それは嘘ではないでしょう。
しかし、ヒトラーに政治利用されることを恐れたチャーチルは、ウィンザー公をバハマ総督に任命、ヨーロッパから遠ざけました(ヒトラーは、イギリスを制覇できれば、ウィンザー公による政権を立てることも考えていたとされます)
ウィンザー公は戦後は、フランスで悠々自適の生活を送りました。様々な思いはあったでしょうが、少なくとも王位よりは恋愛を選んだことは一切後悔することはありませんでした。ウインザー公は王太子時代の1922年、訪日し、昭和天皇(当時は皇太子)と温かい交流を結んだことがあります。昭和天皇はそのことを忘れることなく、1971年10月、約50年ぶりの再会を果たされました。
王太子時代来日の折、ウィンザー公(当時はエドワード王太子)は、靖国神社で玉串を捧げています。もちろん、外交儀礼でもあったでしょう。しかし、王太子は第一次世界大戦時、自ら前線に赴いて闘うことを申し出ました。王太子が戦死、もしくは捕虜になった場合の重大性から、その望みは聞き届けられませんでしたが、できる限り戦線を慰問し、兵士たちを励ましました。
そのことで勲章を授けられましたが、王太子は「戦いの現場にもいなかった、命を危険にさらしてもいない僕が勲章をもらうなんて恥ずかしいことだ。勲章を受けるべき勇士は、幾らでも居るのに」と語っていたといいます。そのような王太子が玉串を捧げたことも、靖国の歴史として私たちは知っていてもいいかもしれませんね。
1972年、ウィンザー公は癌で亡くなりました。その10日前、フランスを訪問したエリザベス2世は、病床のウィンザー公を見舞い、ウィンザー公はすでに横になっているだけでも苦しいのに、点滴を燕尾服の下に隠し、正装で女王を迎えたと言います。わずか15分ほどの対面が限界でしたが、元国王としての誇りに満ちた姿だったと思います。