Vol.25 部下に教えを請える人はシンプルにスゴイ人だ!
あなたは分からないことがあれば部下や目下の人、年下の人などに対し素直に質問することができますか?
個人的には、そんな人を「尊敬できる立派な人」だと考えている。
「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」ということわざある。
知らないことを放置しておくと、後々問題になったりする事がある。私も過去に知ったかぶりをして、苦い経験をしたものだ。後になって話の辻褄が合わなくなるからである。
しかし、一般的に目上の人や同期には質問し易くても、年下の人に対し素直に質問することは難しいのではないか?
例えば指導する立場である上司が質問を投げかけ、「自分が知らない」ことを安易に部下に公言できるであろうか?上司としてのプライドがある以上、それは簡単ではないと思う。要は示しがつかないと感じるからだ。
故事が元になった有名な言葉がある
・青は藍より出でて藍より青し
・出藍之誉(しゅつらんのほまれ)
両者は「弟子がその先生よりもすぐれていること」という同様な意味で、青色の染料は藍という植物から採取し、その色は原料の藍よりも青いということが元になっています。
また、両者の由来は『荀子(じゅんし)』勧学(かんがく)の一節から出典されている。その背景を示そう。
後魏の李謐(りひつ)は天賦の才に恵まれていた。
彼は幼少の頃には孔璠(こうはん)について学んだ。孔璠は学識、品徳ともに優れていた先生であり、弟子を熱心に指導していた。
そして李謐は先天的な英知と自らの努力により、たった数年で、全てに精通するようになり、彼の英智は師の孔璠を追い越し、事物に対する見解もたびたび師よりも精密かつ透徹した境地に達した。
孔璠は非常に賢明で謙虚な人がらであった。
彼は既に自分の弟子の李謐が多くの点で自分よりも一歩ぬきん出ていることを見抜いていたので、彼は自分が理解し得ない難問にぶつかった時は恥を隠すこともなく、弟子の李謐に教えを仰いだ。
初め李謐は師がこのように謙虚に自分に尋ねて来られた時はどうしていいかわからなかった。しかし、孔璠は真顔になって、「李謐、 そのように遠慮するものではない。すべて自分よリー芸の長が有る人は自分の師であると、私は思っています。まして、今はもう君は私より進んでいるのだからね」と言った。
この話を伝え聞いた人たちはみな非常に感動した。
その時、李謐はいっしょに学んでいた同僚と一首の短い歌を作って孔璠の美徳を讃えた。
青成藍、藍謝青。…青は藍より成り、藍は青に謝す
孔璠(こうはん)先生は素晴らしい人物です。
自分もこうありたいと思います。
現在は「弟子のほうがすぐれている」弟子の李謐(りひつ)にクローズアップされた意味合いで用いられるが、もともとの意味は「努力や継続は大切である」師匠である孔璠(こうはん)にクローズアップされた、成長への励ましや戒めの意味合いで用いられていた言葉であるのだ。
世の中には必ず上には上がいるもの。
それは部下だろうが目下、年下だろうが関係がありません。
自身の成長は出会い、人の縁によって大きく左右されるもの。上下の関係なく、共に切磋琢磨できる環境がすべてであり、その環境が成長へ結びつくのです。そう考えると、部下に優秀な人物がいるのは、自身の成長にとって素晴らしいことではないでしょうか?
プライドがあるから部下に質問なんてできない・・・そんなのはクソみたいなものです。
分からないことを部下や目下の人、年下の人など対し素直に質問できる人
それは「努力や継続を大切にする、尊敬できる立派な人」なのである。
今回は自分への戒めを込めての投稿でもありました。
では、また次回\(^o^)/