失敗に学ぶ
父の三浦雄一郎にドクターストップがかかり、アコンカグア(標高6960㍍)登頂の夢を果たせなかった。遠征隊は1月20日にキャンプ地ニド・デ・コンドレスまで下り、父はそこからヘリコプターで下山した。
ニドに残った僕はその夜、ほとんど眠れなかった。父を説得して登頂を断念させた僕が、父に代わり隊を率いて山を登る。想像もしないことだった。だが頭の混乱は、闇夜の中で準備を進めるうちに静まった。登頂という一点に集中すれば物事が単純に思えてくる。気持ちが楽になると体も軽くなるようだった。
21日未明出発。足がよく動く。前日に父と下った道を2時間で上がった。登高スピード(1時間あたりに移動する標高差)は250㍍。ここが標高5500~6000㍍の高所であることを思えば快調といえる。このペースでどこまでいけるか試したくなった。
暗転が来たのは6660㍍のラ・クエバ(洞窟)直前だった。急に足が重くなり、一歩進むにも難儀するようになる。ガレ場と急斜面が続く一帯を、あえぐように呼吸しながら一歩一歩、ゆっくりと進んだ。
頂上直下、標高差であと、100㍍の地点に至ると、いきなり視界がゆがみ、手足がしびれだした。体を動かしてもいないのに胸の動悸(どうき)が激しい。四肢に力が入らず、その場にしゃがみこんだ。すぐに登攀(とうはん)リーダーの倉岡裕之さんが持参の酸素ボンベを用意してくれた。ゆっくり吸って吐くと、少しずつ手足の感覚が戻ってきた。
異常の正体は極度の酸欠だった。あまりにも突然、あまりにも間断なくその異常に襲われたため、僕の頭の中はパニックになっていた。一度萎えた気持ちを立て直すのは容易ではなかったが、父に続いて僕まで倒れてはどうにもならない。倉岡さんに励まされながら恐る恐る足を動かし、どうにか山頂に至った。
絶景を目にした喜びよりも、ほろ苦く、恥ずかしい思いが僕の胸を満たしていた。僕は自分を過信してオーバーペースになり、補助酸素に頼ったのである。
下山したあとの夕食時。「やっぱりペースが速いと思ったよ。だいたいそういうのはあのあたりで倒れるんだ」と倉岡さん。だったらもっと早く言ってくださいよ、と叫ぶように言い返すと「あそこでペースをゆっくりしなさいと言ったら、何も学ばないじゃないか。倒れて、それでも生きて山頂に立って帰ったから学びが大きかったんだ」。僕はぐうの音もでなかった。
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