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富士登山者の安息地

2011年5月7日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 2年後のチョモランマ登山を目指して、父、三浦雄一郎が本格的なトレーニングに入る。そのスタートとして選んだのは、やはり僕達親子にとってかけがえのない大きな存在である富士山だ。
 4月30日からゴールデンウィーク前半の4日間、標高2230㍍、5合目にある佐藤小屋という創業97年であり、富士山で唯一年間を通して営業している山小屋を拠点とした。

 富士は夏に30万人以上訪れ、大衆の山というイメージがあるが、夏と冬では全く違う顔を見せる。厳冬期は風速40㍍の台風並みの風と氷点下30度という猛烈な寒気、そして凍てつく斜面、ヒマラヤ登山を経験した一流の登山家でさえ二の足を踏む。
 そのため冬場に富士登山を行う者にとって佐藤小屋は欠かせないベースとなり、また遭難事故等があった場合にも避難小屋やレスキューの基地として重要な役割を担っている。

 佐藤小屋を取り仕切るのは佐藤家4代目の佐藤保さんとその家族。彼らが一丸となって小屋を守っている。しかし、冬場にこの小屋を営業するのは容易なことではない。12月から春先まで雪で道も閉ざされ、食料を運ぶために胸まであるような雪をラッセルしながら10時間以上かけて小屋にたどり着くことも。

 今回、僕たちが合宿したのは厳冬期ではないが、低気圧の影響で風速40㍍を超える風が爆音とともに吹き荒れていた。富士山は独立峰なので、関東地方の気象の影響を最も色濃く反映するのが特徴だ。
 そのため4日間の合宿のうち、2日間は外に出ることなく停滞を余儀なくされたが、小屋では鍋や焼き肉などのごちそうがあり、快適に過ごすことができた。3日目、風も弱まり一行は山頂を目指した。低気圧の余波が時折、体を揺さぶるような突風を受けるが、空だけは晴れ渡っていた。
 しかし、9合目付近に来ると風が増し、足場はツルツルのアイスバーンであったため、引き返す判断をした。春の残雪はちょっとした気温の変化で斜面が凍てつき死の滑り台となる。

 山を下りると、登山者の無事帰還に心を砕く保さんが小屋の前で待っていてくれた。富士山の厳しくも美しい自然の中で、やさしく迎え入れてくれる佐藤小屋は世界を目指す登山者にとってとても暖かい居場所であった。

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