トレーニング4日目!エベレストBCには吉報か?!
皆さん、こんにちは。今日は2020年4月26日です。7年前に今頃、僕たちはC1から降りてきて1日休養を取っていました。その日、いろいろ歩いて回って色んな隊のテントを見て楽しんでいました。ただですね!僕に取っては気になるニュース。"うちの嫁が陣痛が始まった!"ということを、なんとこの日に聞きました!どうなることやら。皆さん、ドキドキしながらトレーニングに励んでください。遠征日記も見てね!
本日のMIURA流 クライムビクス
三浦豪太が考案する『MIURA流クライムビクス』を上記の動画で詳しく紹介しております。登山体操を始め、ぜひエクササイズの詳しい内容をご覧ください。
【準備体操】
登山体操 ・・・リズムよく、楽しくトレーニングしましょう
【メイン運動】
階段のぼり27階分(もしくは踏み台昇降111段)
バックランジ(歩幅2歩)・・・50回×3セット
【補助運動】
かかとタッチ・・・15〜25回×3セット
三浦豪太の遠征日記 −2013年4月26日−
今朝はとても爽やかな朝だった。標高を少しでも下げるととても寝やすい。朝まで熟睡 だった。昨日、ラッセルブライス隊に行けなかったが、今日はみんなで朝から表敬訪問 をすることにした。ラッセルブライス隊は公募隊の中でも大手の登山隊である。1994 年からエベレストの北側、南側、チョオユー、ローツェ、ヌプツェ等多くのエクスペデ ィションからトレッキングまで幅広くガイド業を行っている。
ラッセルブライスの隊が一般的に知れ渡っているのは、米国のディスカバリーチャンネ ルにて、「エベレスト」シリーズがフィーチャーされたことだ。エベレスト登山をテー マにした公募隊の完全ノンフィクションのドキュメンタリーで人気を博した。公募隊と いうとお金を積めば登らせてくれるというイメージがあるが、彼の公募隊は一流ガイドやシェルパを雇い、クライアントのために現実的な登山行程を組む。しっかりとした体 制とポリシーがあるため毎年、30~50 名のクライアントをエベレストやヒマラヤの超高所へと登山を行い、ほとんど事故がない。
僕たちの今回の登攀リーダーである倉岡さんもラッセルブライス隊のガイドも行って きた。また、ラッセル自身はニュージーランド出身だが、ヨーロッパのシャモニーのガ イドもやっており、僕の祖父、敬三が 99 歳でバレーブランシュを滑り降りた同時期に シャモニーでたまたま別のガイドを行っていて、その時から三浦家の名前を知っていた。 そんなことからラッセル隊にご招待をいただいた。
ラッセル隊と僕たちのテント場はベースキャンプ村のはじからはじほどの距離がある。 そのため歩いて 30 分以上かかる。ラッセル隊のベースキャンプに入るとラッセルブラ イスとツェルマットでガイドしている田村シンジさん、そして石川直樹さんが出迎えて くれた。田村さんは僕たちがスキー撮影でツェルマットに行ったときにお世話になった 人で、五十嵐さんとも親交が深い。石川直樹さんは言わずとも知れた冒険家&旅エッセ イストだ。2 人とはルクラであった以来で、今回彼らはエベレストの隣のローツェ登山 を目的としてきている。
さっそく、ラッセルブライス隊のダイニングテントに招待してもらった。そのダイニン グは 15 人程入るスペースがあった。なかは僕たちの隊同様、カーペットが敷き詰めて ありとても温かみがある。支柱には造花が飾ってある。ラッセルの趣味だという。この 規模のダイニングがラッセル隊には 2 張ある。彼の今回の隊構成はエベレストを目指す クライアント 13 名、ローツェが 7 名、ヌプツェが 5 名だという。その他にコック、ド クター、ガイド等を含めると総勢 52 名である。ラッセル隊の特徴はベースにいるとき、 いかにリラックスした環境を作れるかというのを追及している。
ダイニングはもちろん、ホワイトポッドといわれるカーペットが敷かれた巨大なドーム には、ソファや 32 インチのテレビ、バーカウンターがあり、炭酸飲料からアルコール まで飲み放題だ。トイレは個室トイレで水洗、シャワーはボイラーまでついていて、い つでも暖かいお湯が出てくる。キッチンに案内してもらうと、隊のコックを紹介しても らった。彼の名前はボブ・スローンといってイギリス人。なんと以前スコットランドの ホテルでコックを務めていたときに、エリザベス女王に食事のフルコースをふるまった ことがあるという。ちなみにその時のコースは鳩のソテーと鹿肉だったという。キッチ
ンは僕たちが遠征で見慣れた石積ではなくホテルの厨房を思わせられる。さらに倉庫に 案内してもらうと、棚の上に綺麗に食材やお菓子が並んでいる、まるでスーパーマーケ ットだ! 大城先生はしまいには「ここの倉庫の管理人をしたい」と言っていた。
何もかも桁外れのベースキャンプに僕たち一同はただただ恐れおののくばかりであっ た。しかし、その中でも我々のベースキャンプが秀でていることがいくつかあった。そ れは個人テントの大きさと日本食が僕たちの方が多いということだ。他人の庭はよく見 えるのだろう。プリングルスとコーラ、そして多分イギリス製であろう美味しいクッキ ーをたらふくいただいて、ラッセルブライスのベースキャンプを後にした。
午後はこれまでの日記や頼まれていたコラムを書いたりしていた。そういえば、隊の旗 がちょっと寂しいので 20 個以上ある旗をチョラテンの頂点からつなげて、広げてみた。 するとぐっと我々のベースキャンプらしさが出てきた。
その後、何気なく、自分の奥さんと息子の誕生日を思い出し、ネットを繋げて、アマゾ ンで誕生日プレゼントや花屋さんからお花を届ける手配をしていると、すぐに妻から返信が来た。なんと陣痛が始まったというのだ!!!
出産の予定日は 4 月 22 日だった。それを過ぎても赤ちゃんがまだ上の方にいるらしい と聞いていたので、すっかり油断していた。これは大変だ!!!と騒ぎ立てたところで、 ヒマラヤにいる自分には何もできない。安産祈願をプジャの前でするのと同じように (?!)、ディンボチェにいるときにセミヌードでとった写真をメールで送る。これで少 しでも緊張が和らげば。。。
日本では姉がてんやわんやで対応している。とりあえず日赤病院での安産を願うばかり だ。そんなことを考えていると眠れやしない。とりあえず、倉岡さんとミトロ君が明日 C2 に偵察に行くために夜中 3 に出発するという。僕もその時間に起きて電話をするこ とにした。
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