ハムかチーズか。Ham or cheese.
海外在住時代にホームレスの支援団体でボランティアをしていたことがある。仕事が終わったあとにそのオフィスにいき、ひたすらとサンドイッチを作るという作業。夜が更けて冷え込む時間になると巡回スタッフが街の中を車で、温かい紅茶とサンドイッチを持ってホームレスをまわるので、そのためのサンドイッチ作り。サンドイッチの中身はチーズかハムのどちらか、両方ではなく、どちらか1つ。宗教的な理由や個人の価値観でハムを食べない人もいるのでチーズのみを用意するという側面もあったが、そうでなかったとしてもハムとチーズの両方を挟むとどうしても費用が嵩んでしまう。少しでも多くの人たちを支援するためには両方ではなくどちらか一方という決まりだった。バターを塗る係がいて、チーズを挟む人、ハムを挟む人、出来上がったサンドイッチを切る人、そしてサンドイッチを包装する人。毎回、7~8人のボランティアで100セットくらい作っていたと思う。このボランティアを通してホームレスになってしまった人たちの経緯や話はよく聞いた。中には元ホームレスだったけど支援のおかげで社会復帰しているという方もボランティアをしていた。
日本だとすぐに自己責任と言うけれど実際は、不遇な環境で育ち、ホームレスになってしまった人の割合のほうがはるかに大きくて、自分勝手なことをしてホームレスになったという人には私は出会ったことがない。
片親で、その親がアル中だとか薬物中毒。両親いるけど二人とも中毒。両親いるけど母親が酷いDVを受けていて幸せな家庭を知らなかった・・・片親でその親が精神的な障がいをもっていた為、育児放棄同然だった、両親ともにいたけれどいわゆる毒親で愛情を受けて育たなかった、機能障がいがあり学校生活に馴染めなかった、でも親が病気などで子どもの障がいへの理解や働きかけが何もないまま成人になったなどなど、子どもの頃の環境がいかにその人の人生に影響を与えるのかという事実を目の当たりにした。中には普通に育ったけれど、離婚を経験しそれが原因で病んでしまって仕事が継続できなくなったとか、誰の人生にも起こりうることが原因でホームレスになってしまった人たちもいた。私には彼らのことを「自己責任」という言葉で片づけることは出来ない。だって「社会」とはそういう人たちも含めたものであり支え合っていくべきものだと思うから。
私が海外で暮らしていたアパートの1階が店舗スペースになっていて、ちょうど雨風のしのげる3mx2mくらいのスペースがあった、そこに住み着いているホームレスのカップルがいた。アパートへ戻る時に必ずその場を通るので段ボールで作ったちいさなスペースに寝袋などの荷物がよく目についた。でも、アパートの住人の誰一人として彼らを追いやる人はいなかったし、凍えそうに寒い夜は温かい紅茶を差し入れる人もいた。私も差し入れを何度かしたし、目があえば挨拶をした。今でもこのカップルの名前を覚えている。当時、私は仕事帰りにボランティアのサンドイッチ作りに行くことで、彼らを見るたびに感じる無力さと自分に出来ることのバランスを取っていた。
日本に移住した今、私の暮らす地域ではホームレスの人たちを見かけることが皆無に近いのでっ自分の無力さを実感することはないけれど、日本にもホームレスの人たちがいることは知っている。自宅でサンドイッチを作ることがあると当たり前のようにハムとチーズを挟む。そして必ずボランティア時代のことを思い出し、ハムかチーズの選択肢しかない彼らのことを思う。
ホームレスは自己責任ではないと私は思う。私が今ここにいて普通生活ができているのと、彼らが今ホームレスとして生きていることの決定的な違いは、その人が選択してきた結果ではなく「選択肢があったかなかったかの違い」だと思ってる。環境が与えるものって大きい。私はたまたま「選択肢のある環境」に生まれただけ。
まさに「ハムとチーズ」という選択肢がある私と。「ハムかチーズか」という選択肢しかない彼ら。サンドイッチを食べながらそんなことをよく思う。選択肢のある環境に生まれた私が出来ることは何か、彼らに想いを馳せるだけでなく出来ることって何だろうと思ったときに、また一つ私には選択肢があることに気づく。
「支援をする」「支援をしない」という選択肢。どちらを選ぶのも自分次第だけれど、選択肢のある環境に感謝し、私は前者を選ぶ。
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