M&P LEGAL NEWS ALERT #6:クレディ・スイスAT1債の無価値化による損失回復に向けた投資仲裁と訴訟ファンド(Third Party Funding)の活用
1. 海外投資での損失と「投資協定」による保護
2023年、スイス政府の措置によりクレディ・スイスの永久劣後債(以下「AT1債」といいます。)が無価値化しました。
損失を被った各国の投資家が、スイスで金融当局に対する行政上の手続を開始し、日本でもAT1債を販売した証券会社に対する集団的な訴訟が提起されています。
これら以外にも、海外投資で損失が発生した場合、「投資協定」という国家間の条約に基づき「投資仲裁」という紛争解決手続を活用できる場合があります。本稿では、AT1債をめぐる損失回復のために「投資仲裁」を活用する方法と、成功報酬制で手続費用の立替えを行う「訴訟ファンド(Third Party Funding)」について解説します。
現在、準備が進められている日本、シンガポール、韓国、香港などの投資家による「投資仲裁」の動向については、報道でも広く取り上げられています。
2. 海外投資での損失回復を図る「投資仲裁」
日本政府は相手国からの投資を相互に保護するという「投資協定」と呼ばれる条約を多数締結し、スイスとの間では、2009年に日・スイス経済連携協定(以下「日スイスEPA」といいます。)が締結されています。
日スイスEPAでは、両国が相互に自国に対する投資を保護する義務を負うことが定められており、投資先の国(投資受入れ国とも呼ばれます。)がこれらの義務に違反した場合、投資家は、「投資仲裁」を通じ投資先の国に対して損害の賠償などを求めることができる仕組みとなっています。
投資先の国が負う投資保護の義務の内容は、「投資協定」ごとに異なりますが、日スイスEPAでは、主に下記のような内容が規定されています。
・一般的な待遇及び保護(86条)
・内国民待遇(87条)
・最恵国待遇(88条)
・資金の移転(89条)
・収用及び補償(91条)
投資先の国が負う各種の義務の中でも、AT1債を無価値化したスイス政府の措置が、不当な収用の禁止を定める「収用及び補償」(91条)、や投資家に対して公正かつ衡平な待遇と十分な保護を与える義務を規定する「一般的な待遇及び保護」(86条)などの規定に違反する可能性が示唆されています。
投資先の国に義務違反があった場合には、損失を被った投資家は「投資仲裁」による救済を申し立てることができます(94条)。これは、投資家が投資先の国の政府に対して、損害賠償などを求める手続です。
この手続は、裁判所で行う訴訟手続とは異なり、「仲裁」と呼ばれます。中立な第三者である「仲裁人」(弁護士や学者が選任されることが多くあります。)が、法的な請求に対して「仲裁判断」という終局的な判断を下します。「仲裁判断」は多くの国の裁判所で強制執行することができます。(国際仲裁手続の概要はこちらからご覧ください。)
では、誰が「投資仲裁」を申し立てることができるのでしょうか。大まかに言うと投資先の国で投資をしたことが必要です。例えば、スイス政府に対する「投資仲裁」を申し立てる場合には、スイスでの「投資財産」を保有する日本の「投資家」であることなどが必要になります。
日スイスEPA上、保護の対象となる「投資財産」は、「すべての種類の資産」とされ、その具体例として「債権、社債、貸付金その他の債務証書(その債務証書から派生する権利も含む。)」が該当すると規定されています(85条)。スイスの金融機関であるクレディ・スイスが発行したAT1債を保有する日本の投資家は、スイスにおいて「投資財産」に投資を行っており、スイス政府に対して、「投資仲裁」を申し立てることができる地位にあると言えます。
AT1債の保有者が、「投資仲裁」による損失回復を目指そうとする場合には、そのタイミングにも注意する必要があります。紛争当事者となる投資家は、投資先の国に対して書面で協議を要請し、6か月以内に協議による解決ができない場合に初めて「投資仲裁」の申し立てをすることができます(94条3項)。そして、「投資仲裁」は、投資家が「損失又は損害を被ったことを知った日又は知るべきであった最初の日のいずれか早い方の日」から5年以内に申し立てなければなりません(94条5項)。
また、日スイスEPAでは、既に裁判所などで他の紛争解決手続を開始していると原則として「投資仲裁」を活用することはできない(94条6項)点にも注意が必要です。
3. 「訴訟ファンド(Third Party Funding)」の活用
「投資仲裁」は、海外投資に関する紛争であり、事実関係が極めて複雑で、損害額も高額になることが多く、弁護士費用、仲裁人費用、損害額算定を行う専門家費用をはじめとする手続費用も高額となるのが一般的です。
日本におけるAT1債の保有者は個人が多いとされ、事実確認や費用などの負担を考えると個別に「投資仲裁」手続を活用するにはハードルがあります。この点の課題を解決する方法として現在、検討が進められているのが、日本、シンガポール、韓国、香港などアジア地域の投資家が集団的に「投資仲裁」を申し立てる方法です。AT1債の無価値化で損失を被ったという構図は、多くの国の投資家に共通しています。そこで、多数の投資家が集団的に仲裁手続を活用することで仲裁手続を効率化することが目指されています。
また、「訴訟ファンド」が手続費用を立て替えるとの表明もなされています。「訴訟ファンド」は、紛争に利害関係のない第三者が、紛争解決手続に要する費用を立替え払いし、紛争解決手続の結果得られた賠償金の一部を成功報酬として取得する仕組みで、国際仲裁などを中心に活用が広がっています。日本の訴訟でも「訴訟ファンド」の活用例も出てきています。
「訴訟ファンド」の関与により、投資家は手元資金やローンに頼らず「投資仲裁」を活用することが可能となります。「投資仲裁」の結果、賠償金等を得ることができれば、その一部を成功報酬として「訴訟ファンド」が取得しますが、賠償金等を得られなかった場合には、手続費用を「訴訟ファンド」に返還する必要がないため、敗訴による費用負担のリスクを「訴訟ファンド」に転嫁することができます。
Author
弁護士 緑川 芳江(三浦法律事務所 パートナー)
PROFILE:弁護士(2007年登録)、ニューヨーク州弁護士(2015年登録)。日本およびシンガポールの大手法律事務所において、投資仲裁を含む企業間の紛争案件に従事し、2019年より現職。
投資仲裁、訴訟ファンド分野の論稿として、「Litigation Funding 2024: Japan Chapter」(Lexology)、「Third-Party Litigation Funding: Overview (Japan)」(Practical Law)、「国際ビジネス紛争における法的インフラとしてのサード・パーティー・ファンディング(TPF):待たれる日本での法整備」(JCAジャーナル)、「M&P LEGAL NEWS ALERT #1「日本に上陸した投資仲裁」」、「CPTPPおよび日EUEPAの実務的影響 第2回「海外投資を守る投資協定と投資仲裁(ISDS)」(Business Law Journal)、『よくわかる投資協定と仲裁』(商事法務、共著)等多数。
近時の受賞として、ALB Japan 2024 Dispute Resolution Lawyer of the Year finalist、Legal500 Asia Pacific 2024 “Next Generation Partners (紛争解決)”、The Best Lawyers による“Best Lawyers in Japan (訴訟)” 2025、 “Best Lawyers in Japan (国際仲裁)” 2025等。
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