久しぶりに息子が学校に行かなかった頃を思い出してしまった。でも、嫌なことがあった時は、寝てしまおう。
この記事は2021年6月の記事です。
ずっと下書きに入っていましたが、改めて読んでみると当時の記録になっているのに書き残せなくて残念に思いましたが,改めて投稿します。
最近嫌なことがあったら、すぐ寝てしまえるようになった。嫌なことがあった時というよりぐるぐる考えがまとまらず、心配事を考え続けそうな時。
昨日の夜も気がつけば寝落ちしていた。発端は息子の洋服。ニート息子が、私の友人が紹介してくれたアルバイトに行くことととなったが、いつになっても服を買わない。流石にクロックスだけしかないのはまずいと思ったのか、先日やっとABCマートで靴は買ってきた。ついでに一着しかないUNIQLOのズボンも買い替えるはずだったが、何故かそれは買わずに戻ってきた。もう穴だらけなのだが、、
面倒くさいということもあるが、エネルギーがないように見える。外に行くのにも多大なエネルギーがいるのだろう。眠れないと言いながら、毎日本を読み、スマホを見て、筋トレをする。料理はしないが、家を出てから毎食皿洗いと風呂掃除をするようになった。
そして、服を買わなきゃから、約2週間たった。私は毎日服を買ったか、買わないかを気にしている。在宅の時はプレッシャーを与えないように声をかけ、出勤の時は会社から帰ってきたら、聞いてしまう。
懐かしいな。あの頃のようだ。毎日学校に行ったかを気にしていた息子の高校時代から、私の本質は変わっていない。家を出ていた頃は見えなかったので気にしなかったが、見えると気になってしまう。ともかく学校と名がつくものにいってくれると安心。思考停止だと言われようが、そう思っていた。
結局は私は息子が家で過ごす時間に価値があるとは考えていないのだ。外の世界に正解があると思っているのだ。でも、例えばお話を読む時、答えは本に書いてあるのではなく、自分の中にある経験や感情が揺さぶられて答えになるように、正解は外ではなく自分の中にあるのだ。
なのにまた、私は正解は外の世界にあると考えてしまっている。息子の正解は息子の中にあると知っているのに、つい誰かと会うことで覚醒し、別人となることを期待している。
息子の人生は複雑で刺激的で本質的でどうしようもないが面白い。私はその物語が好きなのに、横から口を挟むことにより、ストーリーを陳腐にしてしまっている。
陳腐な母親である私は、心配や余計な世話を止める事ができないが、心がザワザワする時は息子のストーリーの邪魔にならないよう眠りにつくことはできる。
幸いすぐ眠れる私は、眠る時が一番幸せとつぶやきながら、すぐに眠りに落ちるのだ。