すべては自分なのだから(エッセイ)
なにかをしなければならない。
そう思い込んでいる。
そうでなければならない。
そう思い込んでいる。
一般的な基準がある。だから、ほかの人もそう思っている。ゆえに、この情報が正しい。
そう思い込んでいる。
人生は選択の連続だ。
見えないなにかに縛られる人生、がんじがらめになる。
そう思い込んでいる。
だから、なにもしない。
少なくとも今は。
人に伝えるすべはある。
それでいいじゃないか。
それでなにかが変わるのか、変わらないのか。どっちでもいい。どっちでもいいんだ、そんなものは。
なにかを伝えられる。それが幸せなんだってことを知るのは今だ。
どうしようもなくしんどいときは、しんどくならなくてもいいし、しんどくなってもいい。選択するのは自分だ。
自分で選んでいるのだ。
言葉を話せる幸せを人間は持っている。
だから、どうにでもなれ。
すべてを選んでもいい。すべてを選ばなくてもいい。
ただ、自分が選んだことを誰かのせいにするな。
自分で選んだのだから。
そう思える自分になりたい。
なにも変わらない自分になるのか、なにかが変わった自分になるのか。
どちらにせよ、終着点は同じだ。
何者でもない自分になるのか、なにかになった自分になるのか。
その選択をするのは、何者でもない自分だ。
なにかを吸収した自分になるのか、なにも吸収しない自分になるのか。
そこに他人は関係ないよ。
どう思おうが、他人は他人だ。
だから、どうだっていいんだよ。
今は、なにもしなければいい。
ただ、それだけなんだよ。
それでいいんだ。
今は休もう。
休めるときまで、休もう。
心が平穏になるまで、あがくのはよそう。
言い訳はするな。
心のおもむくままに、いけばいい。
それだけの話だ。
だから、なにもしない。
誰かのせいにしないためにも、なにもしない選択肢があってもいい。
押しつける義務も、押しつけない義務もない。
どう受け取るのも自分次第。
すべては自分なのだよ。
自分で決めたのだよ。
だから、なにもしないという選択肢を自分の中で作ったのだ。
言い訳なんか、しなくてもいい。
受け入れてもいい。受け入れなくてもいい。
ただ、ありのままでいよう。
そう決めたのだから。
いろんな価値基準を当たり前のように言うな。
自分が、どう思うか、だよ。
自分が、どう思うか、だ。
だから、自分で選んだことを他人のせいにするな。
今は今だ。
今しかない。
今を生きるしかないんだ。
どんなにあがこうが死は避けられない。
だから、自分だ。
自分で選ぶんだ。
選ばなくてもいい。
そう選んだのは自分だ。
自分のことを言い訳にしても、しなくても、選んだのは自分だから、それでいいと思える自分になればいい。
そう選べばいい。
選ぶのは自分だ。他人じゃない。
自分であればいいのだから。
そうなればいい。
それでいい。
それだけの話だ。
それでいいと思って、それでいいとは思えなくなったって、どっちだっていいと思うようになったって、自分は、ここにいるのだから、そのすべてに感謝をするように今を生きればいい。すべてに感謝せずに生きてもいいし、生きなくてもいい。
すべては自分なのだから。