生き当たりバッタリ(エッセイ)
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記憶と現実が一致しなくなっている。
ちゃんと、やったことのはずなのに、やったことになっていない。
あるはずの結果を生み出したはずなのに、なにも残っていない。
そういうことが最近、起こっている。
持病のせいなのか、と思うが、なにかしらのなにかが、なんらかに影響して、自分のやったことをなくしているような気がしてしまうのだ。
神みたいな上位的存在が自分のやったことをなくしてしまっているかのような気分に毎回させられてしまっているのだけど、現に残っていないのだから、自分は、なにもしていないのかもしれない。
一種のパラレルワールド的感覚だ。
それが自分の特性たらしめるものであるのかもしれないし、実際は、なにも起こっていないのかもしれない。
記憶違いと言ってしまえば、それは、それで、いいのかもしれないけど、自分が正しいことをしたという感覚が間違っていると言われるとき、どうにも気持ちが悪い。
どうして、なにも起こっていないのが、僕の現実になっている。
憂鬱だ。
けど、これが僕の現実。
私は、まだ、なにも残していないという結果だけがある。
脳の神経回路がダメージを受けた状態で生きているのだから、なにかしらのボロが出るのは必然なのだけど、せめて普通の人並みになりたかったなぁ……。
最近は普通の人の基準が高すぎる気がする。
異性の言う普通の人って、なに?
とりあえず、僕は普通ではないらしいが、どうして僕は普通になれなかったんだろうな。
生きる意味なんて、ないし、誰も自分のことを気にしていない……と思いながら生きれば、少しは明るく生きられるのかなぁ……。
――ある人が言った。
どうして生きているのか……それは、しょうがないから……だと。
しょうがないから、生きている。
あぁ、少し納得。
しょうがねぇわな。
しょうが、が、ないと言っているわけではないよ。
何事も諦めが肝心ということだろう。
自分のプライドをどこかで折らなければいけないのだろうな。
多くを求めない。
この世界に自分を幸せにするトロフィーはない。
たとえ、なにかになったとしても、また、なにかに飢えるだけだ。
飢えを満たすために、しょうがなく生きる作業をしなくてはいけないのかもしれない。
生きるって、英語的に見れば、アイ・キル《I kill》とも読めそうな気がするが、僕は僕を殺すために生きているのかもしれない。
なんか、うまいこと言えたかもしれない。
知らんけど。
この世界にトロフィーがあるのは強者だけなんだよ。
白雪姫のような王子様は、この世界にはいないんだよ。
漫画の価値観が適応されるのは、イケメンと美女だけだから、普通以上は、どこかで捨てなくてはいけない。
30超えたら、今以上の幸せは諦めたほうがいいかもしれないと僕は思っている。
悲しくて、苦しいだけが現実じゃないんだよ、と誰かに言ってやりたいけど、言う相手がいないわ。
言ったところで、なに目線で、どこ目線なんだろうな。
そんなことばかり考えてしまう。
自分は、なにになりたいんだろうな。
そんなことを考える暇は今の時点では、なにもかも遅すぎるけど、なにかを残せる自分ではありたかったよな。
さて、これから、どうしよう。
どうしようって、知らんがなって言われるだけだと思うし、とりあえず、知らんがな。
頭の中が整理できなくなって、ここに駄文を残してしまった。
そんなときもあると読んでくれた人よ、許してください。
まだ道半ばの人生が半分も過ぎていないことを思えば、僕は、なんて傲慢で愚かな人間なのだろうか。
情けなくもなるし、悲しくもなる。
こんな僕でも生かしてくれる世界に最大の感謝を。
家に帰って祈ります。
なにかを祈ります。
幸福が訪れますように。
ひとりの幸福が無限につながりますように、と。
生き当たりバッタリな文章でしたね。
そのうち、いつかバッタリするかも……。
こんな文章を読んでいただき、本当にありがとうございました。