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三浦と音楽〈その三〉|三浦自伝⑮

(写真:高校時代、スタジオでレコーディング中のバンドマン三浦・右)

南アフリカで挫折したバイオリンの次に楽器に触れるきっかけとなったのは、帰国後の中学2年の正月に手に入れたあるバンドのCDだった。

それは、中身の当たり外れが激しく俗に「鬱袋」と呼ばれる本屋「ヴィレッジヴァンガード」の福袋に入っていた唯一まともな商品だった。当初「これもガラクタか」と思いながら再生してみたところ、流れてきたサウンドにノックアウトされてしまった。

そのグループの名はザ・ベンチャーズ。60年代から70年代にかけて日本でエレキブームを巻き起こした往年の名バンドである。

自分もこんな風に楽器が弾いてみたい!と父に懇願し、その年の誕生日、初めてのエレキギターを買ってもらったのだった。手に入れたのはマスタード色のエピフォン社製レスポールジュニアモデル。数十年遅れてやって来た、三浦のエレキブームの始まりである。

ベンチャーズをきっかけに、父のCDコレクションから拝借して少しずつディープパープルやレッドツェッペリンなどギターを前面に出した音楽に目覚めていった。

段々とそれらのアーティストに影響を受けた次世代のバンドにも興味を覚え、聴き進めるうちにハードロック・ヘビーメタルやパンク・グランジへと趣味がシフトしていった。

高校に入って最初の1年間はレッスンにも通ってギターを習い、ついに同級生とバンドを結成するに至った。口にするのがとてつもなく恥ずかしいがもう時効なので告白すると、最初のバンド名はCHERRY BLOSSOMSだった。

は、恥ずかしい…!ゴリゴリの激しい音楽ばかり聴いていた時代にどうしてそんな可愛らしい名前になったのだろう。

そんなバンド名も2度の改名を経てマシになり、オリジナル曲でCDを作ったり各地でライブをしたりなかなか精力的に活動していた。

しかし受験生になり、ついに「勉強のため」というダサい理由で脱退することになってしまったのは痛恨の極みである。ただ辞めた甲斐あって、見事第一志望校への合格を果たすことができた。その進学先では、また新たな音楽体験が待っているのだった。

<つづく>

※三浦編集長 Vol.15(2017年11月発行)より転載