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三浦と音楽〈その五〉|三浦自伝⑰

(写真:女性社会の中、本当によく頑張ったね)

ついにフラメンコギターに出合った20歳の秋。

独特の和音の響きと歌や踊りとの掛け合いに惹かれて始めたはいいものの、フラメンコの知識はほとんどなく、その難しさにはてんで想像が及んでいなかった。

リズムも奏法も、それまで知っているものとは全くの別物だった。右も左もわからないうちは、ただただ部室で一人基礎練習を繰り返すしかなかった。

半年ほどしてなんとか一曲弾けるようになり、いよいよ伴奏をしに舞踊練習場の扉を開ける時がやって来た。

スペイン舞踊部は女性ばかりで、およそ70人の大所帯。その中に男一人で入っていくのは恐怖以外の何物でもなかったが、意を決して飛び込んで通ううちに恐怖も薄らいでいった。

一年半ほどが経った三年生の夏、初めて他大学から伴奏依頼のお声が掛かった。学生ギタリストは少ないので、ある程度弾けるようになると色々な大学に呼ばれるようになるのだ。

「ついに三浦にも伴奏依頼が…!」頑張りが認められた気がしてとても嬉しかったのを覚えている。

記念すべき最初は神奈川大学だった。その後多くの大学へ伴奏に行くようになり、就職活動に支障をきたしながらも充実したフラメンコライフを送った結果、大学六年生まできっちりとギタリストとして勤め上げることができた。後悔はしていない。

島根に来てからもフラメンコは細々と続け、年に一度は必ず大森でライブやワークショップを行っている。

好みも少しずつ変わり、学生時代は踊りが主役の舞台を多く経験したが、島根に来てからは歌が中心の、より純粋で自然発生的なフラメンコを好むようになった。

実はワイフとの出会いもフラメンコがきっかけ。初対面は5年ほど前、京都であったフラメンコイベントの打ち上げだった。

先日の結婚披露宴でも二人で一曲歌を披露したばかり。たくさんの楽しみと幸せをくれたフラメンコには大感謝である。さて、こんなところで<三浦と音楽>シリーズはおしまい。次のテーマをお楽しみに!

<つづく>

※三浦編集長 Vol.17(2018年6月発行)より転載