今のポップ音楽に必要なのは、管弦楽的なものかもしれない。

 音楽のこと、書きます。作る側の話で、わりとシリアスな内容。長いし、若干まとまってない部分も多いんですが、ひとまず放出します。


 なんでも聴く!というポリシーなので、クラシック音楽もそれなりに聴きます。クラシック音楽に限らず、長い歴史を持つものは入っていくためのハードルが高いですよね。まともにクラシックを聴けるようになるまで、ずいぶん時間が掛かったと思います。

 そのうち別に記事を書くつもりですが、最近『ベルリン・フィル デジタルコンサートホール』というのを知りました。

 ベルリン交響楽団のコンサートの映像をハイレゾ配信するというサイトで、日本語に対応しているので使いやすく、曲の解説のテキストもためになります。
 まだ自分も使い始めたばかりなのですが、すごくいいです。Youtubeに公式チャンネルもあり、動画の抜粋を見れます。これだけでも楽しめるという大盤振る舞い。自分含めたクラシック初心者の方にもオススメですね。詳しくは、また別の機会に。

 ということで本題に入りますが、別に単にバンドの後ろでオーケストラを鳴らすというようなコトではありません。

 多彩で規模の大きいサウンドをコントロールして、それをポップなものとして落とし込めることができるのだろうか、ということです。自分は今後の音楽造りにおいて、ここをテーマのひとつに据えたいとも考えています。

ポップミュージックと管弦楽

 今更語る必要もなく、もう既にポップスやロックにオーケストラサウンドを導入した事例はいくらでもあります。バンドにストリングスを入れたり、オーケストラそのものをバックにしたり。というか、バンド主体になるまでは、50~60年代頃のポピュラー音楽などはオーケストラ主体ですね。

 でも、ここで言いたいのはそういうことではなく、発想としての管弦楽的、という意味合いです。管弦楽的な発想でポップミュージックを作るということになります。

管弦楽的とは?

 管弦楽の根本的なアイディアは、ザックリいうとたくさんの楽器を集めて、その豊富な音量や音色のヴァリエーションを楽しもう!というコトだと思います。
 多彩な音のパレットを使うことで、より複雑で規模の大きい音響を作り出そう、ということですね。様々な楽器の組み合わせを楽しめるのは、オーケストラならではです。
 たくさんの楽器がいっせいに音を出したら、それだけで迫力満点な音が出ます。それは生演奏においては、オーケストラしか不可能です。

 60年代以降のポップミュージックは、これまでに多種多様なジャンルを生み出してきましたけど、結局はそれらはすべて新しい音色、サウンドから生まれてきたようにも考えられます。歪んだギター、シンセ、レコードからのサンプリングなどなど。
 そして、その音楽におけるサウンドの重要性は、近年さらに増していると思われます。


 で、何が言いたいのかというと、その人々のサウンドへの欲求が従来のポップやロックのバンド形態では対応出来なくなりつつあり、管弦楽的な対応が求められるのではないか、というコトです。

 管弦楽による交響曲って、聴いていると目まぐるしくドンドン変化していくんですよね。音量も楽器の組み合わせもメロディを弾くリード楽器さえも。一定のテンポ、ビートにおいて、ほぼ決まりきった楽器の組み合わせが鳴らされるバンドミュージックからすると、対照的です。


 バンドというと、やはりギター、ドラム、ベース、キーボードを主体になり、そこにホーンセクションが入ったり、テクノ要素でシンセが入ったり、という感じじゃないですか。
 で多少の出たり入ったりがあるにしても、曲の中でそれほど大きな変化があるわけではないですよね。

 つまり、何がいいたいのか、というと、それがアタリマエになりすぎてしまって、皆それに飽きているじゃないかと。

 正直、管弦楽を聴こうとする人は、特に日本では多いわけではないと思います。しかし、管弦楽的なサウンドや方法論を取り込んだような、新しいポップミュージックを多くの人が待ち望んでいるのではないのかと、管弦楽を聴いていると強く感じます。

 そもそも、今作られているポップ音楽のおおよそは物理的限界によって生まれたバンドという形態を下敷きにして作られています。

バンドという発想

 そもそもバンドという概念は、音楽演奏が生演奏というものに縛られていた時代における現実的な発想から生まれたものです。各人がひとつの楽器を担当し、寄り合い、同時に演奏する、という概念です。

 ビッグバンドなどもありますが、最終的には、世の中の多くのバンドが4, 5人前後の編成を基本にするようになりました。パワートリオのようにさらに少ないほどいい、みたいな考えもあります。


 もちろん、少人数編成によるシンプルなサウンドに魅力がないわけではありませんが、やはり時代的にそうしたバンド的編成に基づいた音作りは少々時代遅れになってしまっているのかもしれません。

 多くの人や楽器を集めたり、コントロールするのは難しい。それが物理的限界です。物理的限界を解消するには物理的困難が生じます。

 多くの人を動かすための運搬費用、収容するための場所。お金で解決でいるものもあるでしょうが、物理的に不可能なものは無理です。

 アナログ時代においても、そうした物理的限界に対する対応策というのはいくつも開発されました。例えば、少人数という制限を克服するために、マルチトラックによる多重録音で音をたくさん重ねて、バンドの人数以上の音の厚みを得る、ということをしています。あと単純にアンプの電気的な増幅で、オーケストラ以上の大きな音を作り出すことも出来ます。


 今我々にはコンピュータというものがあります。コンピュータを上手く使えば、物理的限界をさらに拡張してくれるかもしれない。

 今現在もコンピュータを日々使っていますし、無くてはならないものになっていますが、その使い方はまだまだ限定的なような気がします。つまりコンピュータで出来ることに人間の発想が追いついていない。

消極的コンピュータ利用

 コンピュータというのは楽をするために使われます。人の手でやるには大変なことをコンピュータにやらせます。また、コンピュータで代用品でもあります。実物をシミュレートすることで同じ結果を得ることが出来ます。

 しかし、これらは全て消極的な利用方法です。コンピュータだからこそ出来ることをコンピュータを使ってやるべきではないでしょうか。音楽においても、そうすべきはずです。現実や人の手では不可能なコトをやる。コンピュータの積極的活用。


 例えば、DAWはそもそもはアナログテープによるマルチトラックレコーダー及びシーケンサーをコンピューター上に再現するものとして作られました。
 つまり、模造品、シミュレートしたものです。性能も最初は不十分だったでしょう。しかし、今ではその性能がそれらに並んだ、というよりはそれら以上のものになった感があり、もはやそこに縛られる必要もないはずです。


伝統も大事だけど呪縛ではない

 伝統、習慣ってリベラルな立場からすると、大抵悪いものとして扱われがちですけど、本当に悪いものだったら続かないですよね。まぁ悪いけど、一部の人に都合いいから続いてるものもあるでしょうが。

 そのときの社会状況、技術的問題からすれば、必然的な発想であり、慣習として根付いた考え方も時が変われば、その前提から崩れてしまうこともあると。大事なのは、そうした変化が起こった時にそれを受け止めて、新しい考え方を出来るか、ということだと思います。

 曲を作る人間こそが今、一番その意識を変革しないといけない時なのではないでしょうか。温故知新。古きを知り、新しきを知る。という言葉がありますが、クラシックにおける長大な歴史、蓄積にこそ、今必要なヒントが埋まっているのかもしれない、という内容でした


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