業界内常識に慣れつつも一般人の感覚をわすれないこと
宮本 節子さんの『AV出演を強要された彼女たち』 を読んで、そこに書いている「AV出演を強要された女性がされたひどいこと」のなかに、「本当にそれは許せない」と思うことと「でも、AVに出ることってそういうことだよね」と思うことがあった。
例えば、ある女性が直前にもらったスケジュール表によると、デビュー作の撮影が朝9時集合(インタビューなどもありからみの撮影は11時ごろから)、終了は夜の10時、その間に5人の男性と7回の性行為を行うことになっていて、どんな男性の性行為を行うのかは直前まで分からない。
つまり1日に5人の初めて会った男性と性行為を行わなければならない、AVに出ることが具体的にどういうことか撮影の直前になってようやくリアルに分かり、恐ろしくなって今からでも辞められないか?と相談してきた人がいて、「そんな大切なことを直前まで黙っておくのはおかしい」「そんなことをされたのなら当日に撮影に行かなくてもかまわない。契約は破棄して当然だ」というのだ。
私が出演したAVは相手役の男優さんはひとりで、途中でNGを出されて撮影を中断し、服を着た状態からもう一度撮り直したものの、からみも性行為も1回だけだった。
むしろ屋外でのロケやインタビューに時間を割いたことに驚いたし、朝からホテルに缶詰でからみの撮影をしてきたほうが楽だったかもしれない。
なので「1日に何人もの男性と性行為をする」ことは未経験だが、性風俗の仕事で「1日7人の男性と性的行為をした」経験はあるし、風俗嬢のなかにはもっと大勢の相手をする人もいるし、暇な人なら「5人も相手にできていい」と羨ましがる人もいるかもしれない。
また、会ったばかりの人といきなり性的なことをしなければならず、しかもその相手を選ぶ権利もないことも「仕事なんだから当たり前」と思うだろう。
しかし、これはあくまでも「性的な仕事をする人の感覚」であって、一般人の人からしたら、それは「過酷で女性の人権を無視した仕事」と思われてもしかたがないのかもしれない。
なによりも「自分が性行為をしている姿や局部を撮影され、そのDVDがショップで販売されたりネットで誰にでも見られる可能性がある」こと自体がが、普通の感覚では「女性の人生をむちゃくちゃにする許されない行為」なのだろう。
しかし、「普通の感覚」とはどういうものだろうか?
それから外れることが、本当に許されないことなのだろうか?
例えば広告代理店の新入社員が過労自殺した事件では、毎日のように深夜までのサービス残業があり、睡眠時間が2、3時間という勤務体制が当たり前のように思われていた。
外部の人からは「ひどいシステム」と思うだろうが、取引会社を含む当事者たちにはそれが「当たり前」のことだった。
そして、数年にひとりの割合で自殺者は出るものの、多くの社員にとってはそれでは、いい1日を。が「大変だけどしかたがない」と許容範囲のことであった。
一般人の常識に従うべきか、それとも業界内常識を貫くか?
業界内常識に従いつつも、一般人の感覚を忘れないよう、法の許す範囲で自分にとって納得できる生き方をするしかないと私は思う。
それが誰かに強要されたものではなく、自分で選び取れる環境にあることが必要である。