花房観音著『京都に女王と呼ばれた作家がいた』を読んで
花房観音さんがミステリー作家山村美紗の生涯を描いた『京都に女王と呼ばれた作家がいた』を読んだ。
山村美紗のドラマは見たことはあったけど原作本は読んだことなくて、山村美紗本人に衝いてもよく知らなかったけど、西村京太郎が週刊朝日で連載していた『女流作家』を読んでいて、林真理子との対談で「あくまで小説」と言っていても、きっと本当のこと(二人は男女の仲だった)だと思っていた。
しかし、花房観音氏の綿密な取材によって書かれた本著によって、自分が西村京太郎によるフィクションを事実だと思い込んでいたことを知れた。
美紗の夫、巍が京大の教授で同じく京大教授の父親の勧めによるお見合い結婚だと思っていたが、実際には高校教師で美紗も同じ学校に勤めていた恋愛結婚だった。
お見合い結婚で夫婦の間には愛情はなく、作家という自分の道を切り拓いて行く上で出会った男を真のパートナーとし、夫と離婚したと思っていたが、実際には京太郎とは隣り合った家に住み共に励ましあう関係であったが、していたが、夫や娘たちともちゃんと家族としての絆で結ばれていた。
実際には、ふたりの仲がどうだったかは分からないが、おそらく「女流作家」で書かれたことは、京太郎の「ふたりが恋人同士であったなら」という願望を形にしたものではないだろうか?もし本当に恋人同士ならこんな本は書かないだろうし、ふたりの娘とも親しくなれなかっただろう。美紗の急死を知らせたのは次女の真冬だそうだし、ふたりの結婚式に来賓として呼ばれるものの「自分では家族同然と思って入るのに親族席ではなく来賓席なんて」と言っているのが、恋人同士よりもっと親密な存在であったように思えた。
それにしても、夫の巍も京太郎も美紗の死後は別の人と結婚してるのが興味深い。こういう言い方をしてはなんだが、美紗の死は早すぎたが、美紗に自分の人生を捧げるかのように尽くしていた男に、第二の人生を歩ませる時間を与えたことは、ふたりにとってもよかったのかもしれない。
美紗は新人賞などの賞を取れなかったことや下積み生活が長かったことで「売れなくなること」の恐れや優しい性格ゆえにどんなに忙しく体調がよくなくても頼まれた仕事を断らずに全部引き受けていた。文字通り命を削るように小説を書き続け、書いている最中に死んでしまった。 美紗がそこまで小説に命を注いだ理由、美紗の華やかな性格や豊かな社交性がどのように育まれたか、花房氏の細やかな取材と文章ですごくよく伝わってきたが、迫力に欠ける気がした。
この本のなかで1番胸を揺さぶらされたのは、筆者が美紗のことを書きたいと思いつつ迷っていたときに小説を書きたいとと言っていた知人の死に対峙して、自分はこの本を書かないまま死にたくはないと決意するシーンだ。美紗のの物語は冷静に読み進められたのに、筆者自身がみずからの決意を語る箇所には強い衝撃を受けた。
山村美紗という作家を書きたいと願う花房観音という小説家の心のうちが描かれていたからだ。
ところで、今日はたまたま京都に行ったのだが、今日、8月25日は美紗の誕生日だそうだ。
令和2年の今日は猛暑のあまりの鴨川のほとりで涼しむ人もおらず、いつもなら観光客で賑わう祇園商店街のお店にはもコロナの影響でほとんど人が入っていなかった。
長い京都の歴史からみたらほんの小さなエピソードのひとつにしかならないだろうけど、1番寂しい山村美紗の誕生日なのかもしれない。