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『乳房のくにで』で縛られる女性たち
未婚のまま子供を産んだ女性が、かつて裕福だった頃の生活や離婚したあと会っていない母親の面影を求め、デパートで、かつて母親が着ていたようなワンピースに目を止め、買えないと分かりつつも試着してみる……
現代日本が抱えるシングルマザーの貧困問題と自身のノスタルジーをも駆り立てる切ないシーンから始まった物語は、主人公が母乳が出過ぎることを見込まれ、裕福だった頃の同級生夫婦の子供のために「乳母」として雇われることで大きく動き出す。
乳母を求めたのは、母乳が出なくて困っている母親本人ではなく、結婚しても仕事を続けるなど「この家にふさわしくない」と思っていた嫁が、さらに、母乳が出ず自分が理想とする「母親」の模範を満たさないことに憤慨する姑の千代であった。
大切な跡取りである孫に母乳を与え、世話をする女性さえいたら、気に入らない嫁なんていらないと追い出すことを考えるのは、「嫁」を使用人のようにしか思っておらず、立場の強い「息子の妻」より、自分のいうことを聞かざるを得ない「使用人」のほうを好ましいからだろう。
少し前に、代理母について言及した女性誌「VERY」の記事が炎上したが、実際に代理母が可能になったら、キャリアを中断したくない母親本人より、千代のように跡取りが欲しい義母が代理母を求めるケースほうが多くなるのではと危惧する。
「仕事と家庭の両立」を望むものの、夫の実家の意向に拒まれる奈江、妊娠したものの相手とは音信不通になり、1人で子供を育てなくてはならなくなった福美は、それぞれ「母親」であることに苦しまされるが、一番の被害者は、一見加害者、すべての元凶のように見える、千代ではないかと思う。彼女が一番、「家」や「嫁」はこうあるべきという模範に縛られて生きているように見えるから。
独身時代に2度も交際相手に中絶され、結婚後も浮気を続ける奈江の夫も、典型的な「ぼんぼん」であり、「男としての模範」に縛られているように思える。二人とも、自ら望んだというより、「家の模範」に縛られ、「加害者」にならざるを得ない立場に追い込まれてしまったのではないか。
いや、奈江も福美がお互いに相手を傷つける「加害者」の役割を背負わされてしまったのであり、この物語に出てくる人たちは、「家の模範」に従うために、自らを苦しめ、それに反する人を苦しめている。
福美や奈江が子供を産んだのは「ミレニアム」を迎える前年。終章に出てくる「未来」が今であり、千代のように「嫁」に「家の模範」を強いる「姑」も少なくなっているだろう。
しかし、福美のようなシングルマザーの貧困は現代のほうが一層ひどくなってきている。 女性の社会進出が進むにつれ、子育てと仕事に悩む女性も増えて来るだろう。
それでも、「家の模範」から解き放たれ、それぞれが自分の生きたい人生を送れるようになればと願う。
困難はありつつも、その希望を感じさせるラストが心強い。
ところで、最近は実用書やルポを読むことが多く、しばらく小説から遠ざかっていた。「物語」を読むより、ルポをなどで現実を知ることのほうが大切に思えていたからだ。
しかし、例えばシングルマザーの貧困や夫婦の不和に関するルポやエッセイを読むより、この本のような綿密に練られた小説を読むことで、現代社会の問題点や解決策を考えることができることに気がついた。
これから、もっと小説を読みたいと思った一冊である。