議論は盛り上がるが、状況は改善せず
「保育園落ちた日本死ね」が流行語大賞を受賞したことで、「自国に対して『死ね』なんて言う言葉に賞を与えていいのか?」という議論が起こり、なかには選定委員を中傷するようなことも起こっている。
この言葉を擁護する意見のなかに「この言葉のおかげで、待機児童問題がより多くの人にも知られ、対策も進んでいる」というものがあるが、子供を保育園に預けて働きたい母親の増加に対して保育園の受け入れ体制が整っていないということは、数年前から問題になっており、各自治体で対策を進めてきもので、もし今年の調査で待機児童の数が減ったからといっても、それは「『保育園落ちた日本死ね』が話題になった」せいではない。
むしろ、これを機に本腰を入れる自治体があったとしたら、怠慢としかいいようがないだろう。
ネットなどで話題に上がり、多くの人がその問題の存在に気がつき、考えられるようになることと、その問題解決のための対策が進み、当事者が恩恵を受けられるようになることとの隔たりは大きい。
私自身は子供を保育園に預けることなく育てたし、私の周りでは、専業主婦か保育園プラス、実家の親に面倒をみてもらいながら、育てている人がほとんどで「預けることができずに困っている」という人に会ったことがない。
多くの人にとっても「ネットやテレビで取り上げられている話題のひとつ」というものなんだろう。
だからこそ、「自宅の近くに保育園ができるのは反対」という人や「子供は母親が育てるもの。安易に行政に頼るな」という人も依然として多いのだ。
今、中村うさぎさんの働きによって「セックスワークの合法化」が話題になろうとしている。
しかし、多くの人がこんな問題があることに気がつき、議論になることを望んでいるが、それだけで終わってしまうことを危惧している。
「単に話題になっただけ」で終わらせないために、何ができるか考えている。
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