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いじめの構造と私がネットで得たいものもの

ツイッターでこんなつぶやきを見つけて、「いじめる人の心理」がようやく分かって、思わず膝を打ってしまった。

今日は猪瀬さんの件で大いに笑ったんですが、よくよく考えると「誰かの恥ずかしい失敗を見つけて周囲に言いふらし、みんなで笑う」というの、完全にイジメの構造そのものだし、基本的にイジメは楽しいものなんだなと実感してしまってめちゃくちゃ恐ろしい気持ちになった。

私はいじめられていたのはもう30年も前の話だから、今さらいじめっこの心情が分かってもしかたがないんだけど、今でもツイッターで標的にされることがあるし、自分の子供がいじめられることもあるかもしれないので、「いじめの構造」を知るのは有益なことだと思った。

しかし、私は「あなたの考えはおかしいと思う」とか「私とは違う意見だ」と思い、指摘することはあっても「ご一報こんなバカなこと言ってる!」と囃し立てて、仲間内でうなずきあって、仲間意識を高めたり、一体感を感じるのは、ホントバカバカしいし、そんなことでゆかいになれる人の気持ちが分からない。

もし、いい年をした大人が、ネットの匿名性を活かして「共通のいじめてもいい相手」をからかう行為をするなら、その人たちは、いまだに小中学生の意識レベルをしていることになる。

まぁ、どんなに大人になっても、子供のときと同じような「情けない自分」を温存していたり、「成長しきれていない心」が残っているのかもしれないが。

もうひとつ、素敵なツイートを見つけた。

知識や見識については「世の中にはわたしの知らないことがたくさんあるので知りたい」

日常生活や他人の行動については「世の中には知らなくていいことがたくさんあるので関係ない」

が正しいのに、これを完全に逆にして、頭が良くならず、気分だけ悪くして生きる人ばかりである。

本当にその通りだと思う。

気に入らない人がいたり、低俗だなと思う人がいたとしても、その人がなぜこんなに幼稚なのかなんて考えてもきりがない。

それより「いじめっこの心理」という、自分の知らなかった「知識」を得られて、それを自分が余計な火の粉を被らないよう、また子供が被害を受けたときにどう対処するか、考えるきっかけが得られてよかったと思う。

それこそが、私がネットで得たいことなのだ。

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