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ネットに残る個人的なやりとりは何十年後かには貴重な資料になっているのだろうか?
最近急になんどもリプライを送ってくるようになった人からDMが送られてきて驚いた。
今年の2月から3月にかけてなんどかやりとりしていた履歴が残っていたからだ。
違うアカウント名だったが、「大阪に来るときに会いたい」となんどもやりとりを重ねた(ラインのアドレスを聞いたり写真も顔写真を送るよう求めたりも)あと「やっぱりデリはなぁ。箱ヘルなら行ってたんだけど」と断られたり、「って(名古屋にも支店があるから)、姉さん、名古屋にも来るんじゃん!」とタメ口で話しかけてこられたり、最後には「3月○日に行きます」と連絡がきて、またなんどもやりとりがあったあと、相手がブロックしたりフォローをはずしたときに表示される「送信できません」になっていた。
アカウント名を変えたのは私が原因ではないと思うが、そんな過去のやりとりを忘れているのか、気づいている上でのやりとりなのかは分からない。
以前のようなタメ口ではなくなっているし、成長のあとが見られるからとしばらく相手をすることにしたが、あいかわらずの身勝手な対応でやはりこちらが疲労するばかりであった。
ところで、ツイッターのDM機能やフェイスブックのメッセンジャーなど個人間のやりとりは、自分がアカウントを削除しない限り残るのは便利な反面少し怖い。
(その点ラインはログアウトしたら消えてしまう。取っておきたいやりとりが消えてしまって残念な思いをしたことも)
何年も前のやりとりがどこかで表に出てしまうかもしれない。
よく、すでに鬼籍に入った著名人の手紙などが発見され、その内容とともに公開されることがある。
知人への励ましの手紙ならまだしも恋文などプライバシーの侵害になるのでは?と思うものもあり「○○記念館」などで拝見するたびに複雑な気持ちになる
また、個人の手紙や日記がその時代の市井の人たちの思考や生活ぶりを解読する研究材料になるという話も聞く。
ネット上やりとりも、何年後かには貴重な資料になるのだろうか?
ふと、そんなことを思った。
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