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どんな人に対しても自分の価値観を当てはめる人達

「『意見交換会』って『合コン』を言い換えただけ」というツイートを見かけて、なんのことだろうと思っていたら、これから婚約する運びとなった皇室の方が恋人と出会ったのが「留学に関する意見交換会」であるのを、「合コン」を上品に言い換えただけと思っている人がいるらしいのだ。

それについて書かれた記事や同じ学校を卒業された女性のツイートを読む限り(というか、結婚相手に特別な素養を求める人が軽々しく合コンなんぞに参加されるはずなどないのだが)、「これから留学することを考えている人が留学経験者に話を聞く」という会で「交際相手、あるいはその夜の性交相手を探す」合コンとはまったく別のもののようだ。

そもそも、大学は勉学するところで、恋人や将来の結婚相手を探す場所ではないが、勉強より恋愛や遊びを優先する学生が増えて「男女が出会った場所」=「合コン」と思う人が多くなったのは嘆かわしい。

さらに相手の立場や素養をまったく考慮に入れずに、自分の経験や思考を、皇室というかなり特殊で高い素養を求められる人に対しても当てはめてしまうのは、平等主義の悪影響なんだろうか?

あるいは、深く考えずに「『合コン』のことを『意見交換会』って言い換えるの、おもしろい!」という発想だけがあって、誰かの思いつきに、多くの人が乗っ掛かってしまったのかもしれない。

その人たちには「清廉さが求められるはずの人が庶民と同じように交際相手を探していた」という皮肉もなにもなく、単に「それ、おもろいじゃん!」という単純な感情だけがある。

それは何かにとらわれることがないという意味ではいいことなのかもしれない。

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