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「ミッドサマー 」 ~個々の感情より共同体の存続が大切な村 ※ネタバレあり

「ミッドサマー」という映画を見たのは「恋人と見たら別れる」というコピーにひかれたのと、ツイッターでフォローしていてその人の文章を読むことが好きな人が「ネタバレあり」の感想を書いておられ、それを読む前に見ておいたほうがいいと思ったからだ。

ひとりで見てもよかったんだけど、私のツイッターをいつも見てて「パラサイト」を見に行く約束をしていた彼が「それならミッドサマーのほうを先に見ようか? 」と私のツイッターのスクショとともに梅田や難波の映画館の上映スケジュールのスクショをラインで送ってきて 、梅田の映画館で見ることに決まった。

映画館に行く途中、阪急でやっている「クッキー展」に開店前から並ぶ人の行列があり、映画よりそっちにしようかなと思ったけど、いろいろ準備してくれていた彼にわるくてそのまま映画館にいったら、TOHOシネマズの売店では堂島ロールが売っていて心残りの気持ちがいくぶん解消された。

さて、驚愕のストーリーを全部言っちゃうと、妹が両親を道連れに自殺してしまった女性が恋人が友達と計画していた旅行についていったら、そこは独特な伝統を守る村で夏至の期間に行われる祭りに参加していくうちに、女性は女王に選ばれるが恋人や村のルールを破った友達は殺され生け贄にされるというホラーである。

最初の衝撃は年老いた老人が命を次に生まれる子供に繋ぎ渡す意味で行われる投身自殺。失敗した人はハンマーで頭をぐちゃぐちゃにされる惨殺さであるが、村人たちは年老いても生き長らえるよりいいと言う。

日本でも「姥捨て山」という風習があったし、「村の掟」を破った人たち行われる処刑方法も残酷ではあるが、日本の「切腹」も同じように残酷で、「切腹」は当主や責任者が死ぬことでお家の断絶を免れる「共同体のための個人の犠牲」という意味でも同じである。

また、日照り続きで農作物が全滅しそうなときに雨乞いをするために、また橋や城など重要な建築物の施工成功を祈願するために、多くの場合未婚の女性を殺したり生き埋めにする風習もあった。

前時代にはコミュニティが生き残るためには個々の犠牲はつきものだったのだ。

それより、私がすごく奇妙に思ったのは村人達の感情共有である。

老人たちが投身自殺したとき、見守る村人たちは一斉に奇声をあげ嘆き悲しみ苦しみを共有する。

そこにいた人たちは死んだ人の「死」や「苦しみ」を自分のものとして悲しみ苦しんだというより、みんながそうしている感情に同調したのではないだろうか。

自分が悲しいと感じるより、「みんなが悲しんでいるから自分もそうすべき」と思って奇声を挙げているのではないだろうかと私には思えた。

儀式に臨む前、老女が食事をしながら浮かない顔をしているのが気になったが、その気持ちは彼女固有の感情、感情表出なのだろうが、みんなで悲しむ場面では「個々の悲しみ」が感じられなかった。

ダニーが自分の恋人が村の儀式によって村の女性と「繁殖」している情景を垣間見、嘆き悲しむのを見た村の女性たちがみんな一緒になって嘆き悲しむシーンがあり、それによって彼女が癒されたという説があるが、あのなかで本当にダニーに同情し一緒に悲しんだ人は何人いるだろうか?単にそれまでの風習によって「同じ感情表現をした」だけではないだろうか?

ところで、ダニーが儀式の行われている小屋に気がついたとき、そばにいた女性が「あなたには関係ないこと」「行かないほうがいい」と止める。つまり彼女は村の住民を増やすという村にとって喜ばしい儀式でも、その儀式を行っている人を好きな人にとっては辛いものだと彼女は知っていたことになる。

もしかしたら、彼女は好ましく思い、この人が自分の「繁殖相手」だといいなと願っていた人が別の人の相手に選ばれたという経験をしたのかもしれない。

だから、もしかしたら、あのなかの何人かの女性は本当にダニーの悲しみを理解し自分のことのように嘆き悲しんでいる人もいるだろうか、全員ではないだろう。それでも、みんなと同じようち嘆き悲しみながら、「自分もそうなる」ことを納得していくのではないだろうか。

この村では「夫婦」という関係がどこまで重要視されているか分からない(村人たちのなかでこの人たちは夫婦だとわかる関係の人はいなかった)が、(もしかしたら夏至祭の儀式のときだけかもしれないが)セックスする許可と「繁殖相手」は村の長老によって決められている。

映画で描かれているのは夏至祭の期間だけであり、実際の生活がどうであるかまでは分からない。

しかし、若者みんなが仕切りのない小屋のなかで寝たり、武良での役割はその人の特性によって決められるという話からも、おそらく「個人の自由」というものはないだろう。

結果的に、いやはじめからそのつもりで、仲間たちを故郷の祝祭に連れてきたペレももう一人の村出身者も、初めからその役割を与えられてアメリカやイギリスに留学したのだろう。

それがいいことなのか悪いことなのか考える以前に、村での「感情同調」によって、村の掟を守ること以外のことが考えられなくなってしまったのだろう。

ダニーはあのあとどうなるだろうか。

花に囲まれた女王の衣装がまるで貢ぎ物のように思えて、その後の不幸を予感されるが、一般の村人としてあの村で生きるとしても、本当に幸せになるだろうか。

ときには胸をえぐられるような苦しみに苛まれることがあっても、私は自由に生きたいと思う。

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