拝金主義を浅ましく思うのはもう少数派になったのかもしれない
風俗に関する発言を巡ってフェミニストの人が抗議活動をしている件について、「お金をくれる訳でもないのに」とか「(フェミニズムを)学んで稼げるの?」という発言をしていると、支援団体をしている人がツイートしていた。
おそらく、当事者に対して何の利益にならない活動家への皮肉を込めた発ツイートだと思うし、それに賛同する多くの人が「いいね」やリツイートをしていたが、私はその発言がお金のことばかりで浅ましく、なんだかとても悲しくなった。
元々、風俗で働くことを選択したことは「すごく嫌で世間体の悪いことでも、お金が稼げるなら何でもやる」という気持ちがないとできないし、そういう状況に陥ったからこその選択だろう。
そこまで困ってなくても、「どんなにクソ客でも何度も指名してくれたりロングで利用してくれたり、チップを弾んでくれる人はいい人!」というすべてがお金に換算できる世界で働いていたら、お金がすべてになってしまうのかもしれない。
ツイッターでは 、セクシーな写真と共に客受けのいいことをいう「営業アカ」がある一方、裏アカの「クソ客」に対する愚痴が溢れているが、そんなひどいルール違反をする人ならさっさと出禁、NGにしたらいいのに、リピート欲しさにいい顔をしているからこそ、裏アカでの愚痴になってしまうのだろう。
きちんとみんなが厳しいルールを適応したら、もっと風俗客のモラルは上がるだろうに「自分だけは稼ぎたい」というお金第一主義が、男性客を付け上がらせているのだ。
コロナにより営業を自粛させられ困窮している人は多いが、何か別の仕事を探すのではなく、アマゾンギフトやラインペイで金品をねだったり、もらったものをツイートで紹介している女性が多いのも気になる。
それはとても浅ましいことだと、彼女たちの「不遇」な環境に同情してしまうのだが、最初に紹介したツイートは好意的に受けられているし、「仕事ができなくなった風俗嬢がお金を送金してもらったり欲しいものを送ってもらっている」ことが美談として受け入れられている「世間の受け取り方」も、私とのギャップを感じる。
いや、それは風俗業界の常識であって、私が生きている世界の常識ではないよねと思いたくなるが、それがすなわち日本の「分断」を現しているのだろう。
そして、私が「当たり前」だと思っていた価値観や社会が、これからの日本では少数派になってしまうのかもしれない。