大空はるみさんのこと
私には3人の母がいる。
この世に送りだし大切に育ててくれた母
今年亡くなったシアトルのThe Total Experience Gospel Choirの創立者であり牧師のPatrinell Wrightさん
そして、Singerの大空はるみさん
もうかなり前のこと、私がある時期に通った音楽学校MESAR HAUSではるみさんの歌のクラスの開講が決まり
そのクラスのピアノのアシスタントを私が担当することになった
はるみさんと初めて会った日のことを今でも覚えている
「初めまして。大空です。これから美穂ちゃんって呼んでもいい?私、下の名前で呼びたいの」
とおっしゃった
その言葉と笑顔が今でも忘れられない
一瞬でトリコになってしまったのだ
5年半、クラスの中での生徒さんとの向き合い方、教え方、発表会でバンドとして演奏するミュージシャンとのやり取り、音楽との向き合い方、ひとつのステージを作ることのこだわりなど本当に、真剣にそして楽しく学んだ
その時期、はるみさんと出会ったことで、私の持っていた表に出ていなかった熱が引き出されたように思う。音楽の向き合い方がじわじわ変わった
そして音楽を離れたところでは、いろーんな話をした。お洋服などおしゃれに関わること、粋なこと、美味しいもの、お料理のレシピ、恋愛相談etc話は尽きなかった
はるみさんとこうやって仕事をしながら私も成長しつつ、はるみさんとずっと仲良くできて歳を重ねられればいいなあ、と思っていた矢先
彼女が病気だとわかった
私はそんなに深刻だと思っていなかった。だってこんなに明るく素敵な人が病気なんて考えられない。きっとすぐに治る
でもそうではなかった
病気がわかってからは今まで以上に仕事のこと、そして音楽のことなどを話したり教えてもらいつつとても濃い時間をいただいた
最後まで生き抜くって生半可ではない
しかも病気であることは人には見せずに気を遣わせずに振舞うかっこよさ
でもその陰ではどれほどの感情が渦巻いていたことだろう
はるみさんが彼方に行く前にお見舞いに行ったがその時のことはあまり覚えていない
まさかそんなにすぐに彼方に行くなんて思っていなかったから
でもすぐ後に息子さんからの電話でそのことを知らされた
頭の中がぐるぐるして一晩中眠れなかった
夜はとにかく冷えて、寒いのか悲しいのかなんだかよくわからずにいた
皆が見守る中、お天気がいい秋の空に彼女は帰っていった
そして、お葬式で再会したのをきっかけに5年半の間の生徒さん、発表会のバンドのミュージシャンで追悼コンサートを4ヶ月後に行った。
コンサートホールを借り(生徒のTちゃんが「みほさんにベーゼンドルファー弾いてもらいたいから」って探してきたホール。きゃー)
音とライティングのエンジニアの会社に協力していただき、そしてリハーサル、プログラム作成、舞台装置の手配など協力体制を整えてみんなで3時間半のショウを作り上げた。
そして女性用の衣装ははるみさんから借りた。膨大なステージ衣装だった。
今考えても奇跡的なことだ
あの準備期間であんなショウができるなんて
人の熱っていざとなると何でも成し遂げられる、とその時思ったものだ
で、この11月は命日月なのである時期までは毎年有志数名でお墓参りに行っていた
みんなで近況報告をし、小さな同窓会のようだった
みんなで行けない時はひとりで行っていろんなことをお墓で報告した
いつもいい時間だった
そして4年前、20年経ったところで何となく自分の気持ちにもひとくぎりついた
今年、生徒さんとバンドメンバーでお墓まいりに行ったと。今でもしっかりつながっている
はるみユニティみたいなもの
やはり、熱はまだここにもあるのだ