もうギャルの私は求められていないー滝沢カレン
モデルやタレントで活躍する滝沢カレンさんの、人生のターニングポイントとなった出来事です。
まだ事務所に入ったばかりの頃、カレンさんはJJというファッション雑誌の専属モデルをしていました。
専属モデルはその雑誌以外には出ないという契約を結んだ特別なモデルのこと。
その雑誌のイメージを務める、モデルにとっても雑誌にとっても大切な関係です。
ところが、モデルとして仕事が始まってしばらくすると、月に4回撮影していた仕事が、3回、2回・・・と減り、最終的に撮影の話が来なくなってしまいました。
滝沢さんも、マネージャーも「どういうこと?」と思いましたが、翌月に発売されたJJの表紙を見て唖然。
そこには、自分以外の専属モデルの5人が載っていました。
「自分だけどうしてここから外されてしまったの?」
滝沢さんは、その表紙を見て気がおかしくなりそうでした。
しかし、怒りよりも大きかったのは、悔しさでした。
この表紙に入れなかった自分。
理由は分からないけど期待にこたえられず、仕事への責任を果たせなかったことは確かでした。
自分に対する悔しさがカレンさんを襲います。
カレンさんは意を決して、自らJJの編集部へ問い合わせの電話をかけました。
連絡先も知らなかったので、読者と同じ雑誌の後ろのページに載っているお問い合わせ先からの連絡です。
専属モデルがお問い合わせから連絡するなんて・・・と、とても恥ずかしく感じました。
無事編集部と連絡がつき、後日話し合いの場を作ってもらったカレンさん。
事務所のマネージャーと一緒に編集部を尋ねました。
その話し合いから分かったことは、自分がこの雑誌のコンセプトを理解できていなかったということでした。
いわゆる「ギャル」のスタイルが好きだったカレンさん。
モデルになってからも髪は金髪で巻いていて、メイクやファッションもギャル風のまま、自分が好きなスタイルを続けていました。
JJも昔はギャルに支持された雑誌でした。
しかし時代は流れ、今は一見すると同じ様なギャルっぽいノリでも、中身は変化していました。
取り扱っているブランドも変わり、メイクやファッションも少しずつ変化していたのです。
それに気づかずに、ずっとかつてのギャルでいたカレンさんは、自分では気づかぬうちに取り残されていたのでした。
今JJ読者に求めれているモデル像を全く体現できていなかったのです。
自分のやりたいスタイルにばかりこだわり、時代の変化にも気づかず、編集部の要望にも応えられなかったカレンさん。
指示を理解できない専属モデルは外されてしまって当然だと感じました。
その事実を受け止めたカレンさんは、このままでは終わらせられないと、自分も変わる覚悟を決めます。
なんと、自宅のクローゼットにあった服を全部捨ててしまいました。
そして、その日のうちに雑誌の巻末に載っている掲載ブランド店を買い回り、今のJJにあったファッションやメイクを身につけました。
今のJJに求められるモデル、そして読者がみたいモデルであるために自己改革を始めたのです。
そんなカレンさんの努力は実り、JJの表紙を飾ることができました。
その時のことを、
「1億円当たるよりもうれしかった」と話しています。
参照:Youtube チャンネル「梨花×otona MUSE」