早く本物のオバタリアンになりたい ー吉川ひなの #読むと悩み事が消えていく話
タレントの吉川ひなのさんは、数年前に実のお母さんを病気で亡くしました。
ひなのさんのお母さんは、子どもへの依存や束縛が激しく、「毒親」と呼ばれるような人でした。
そんな実母との関係を赤裸々に綴ったエッセイ「Dearママ」を執筆中、ひなのさんは人生の新たなフェーズに足を踏み入れることになります。
ひなのさんとお母さんの関係はとても複雑で、一般的な親子とは全く違ったものでした。
幼少期には虐待を受け、芸能人として有名になってからは、お給料を横取りされる状況が続きました。
それでもお母さんと決別することができなかったひなのさん。
しかし、お母さんが亡くなり、親子関係に改めて向き合う決意をします。
「Dearママ」は丸々一冊を実母と自分との関係について書くつもりでした。
そして、それを書き上げた暁には、自分の中のこの苦しみを終わらせられると信じていました。
しかし、いくら書こうにも書けません。
お母さんは亡くなってしまい、自分が問いたいことや明らかにしたいことがあっても、答えは返ってきません。
答えがないせいで、その日の調子によって自分の想いも行ったり来たり。
母との関係はこれで良かったと思える日もあれば、やっぱり許せない、どうして?!と煮えくり返る日もありました。
ひなのさんは、考え続けていたある日、その気持を素直に言葉にしてみることにしました。
「そんなわけでわたしは、今でも母親のことを自分がどう思っているのかわからないままでいる」
「わたしの母はああいう人であった。無理に美談にする必要もなければ、何か答えが必要なわけでもない」
これまでのひなのさんは、何かひっかかることがあったら、とにかく明らかにしたい。
答えや理由を必死で探す性格でした。
でも、「答えなんてでないときもある」と、年を重ねるに連れて気持ちの切り替えがうまくなってきたと自分でも思うようになりました。
更に最近では、
「どっちでもよくない?考えても分からないんだから、そんなことに費やすのは時間の無駄無駄!」
と開き直るくらいに(笑)
わたしはいま、「繊細な女の子からいつのまにかオバサンになり、更にはオバタリアンになりかけているのかもしれない」
と、ひなのさんは思いました。
オバタリアンだなんて・・・
それは、若い時のひなのさんがこんなふうにはなりたくない!と横目に見ていた中高年の女性の姿でした。
しかし、実際になりかけてみると、なんて心地が良いものだろうかとひなのさんは感じました。
結局、お母さんとの美談はエッセイでは語れませんでした。
でも、またいつか違う形で表現できる日がくるかもしれない。し、来ないかもしれない。
来なくてもそれでいいと思えました。
曖昧なままでいられる図太さこそ、オバタリアンの魅力。
ひなのさんにとってオバタリアンになることは、ここからが人生の楽しみどころなのかもしれないぞ。
と、ワクワクさせてくれる成長なのでした。
参照:「Dear ママ」ー吉川ひなの