消費側から生産側へ

日本仕事百貨主催「文章で生きるゼミ」3回目の講師は、団遊(だんあそぶ)さん。

小説家志望だったが、念願かなわず、フリーライターとなり、編集者となり、コピーライターとなって、今は駒沢大学駅で「駒沢こもれびプロジェクト」のリードもされているマルチな方。

生き方がパワフルで、出版社に入り浸ってフリーライターとして初めてのお仕事をもらってから、打席を増やすために毎回3パターンの原稿を寄稿し、スキルと周りの信頼を高め、すぐに人気ライターとなる。そしてより文章を多角的な視点でとらえるために、編集者やコピーライターの仕事にもトライ。本人いわく、「やる気×若さ」はどの時代であっても最強で、まわりの大人が何か面白がって仕事を任せてくれた、とのこと。

そんな団さんが文章にずっと携わって生きてきて、関わってきた人たちから学んだ「文章で生きる9個のコツ」はどれも含蓄があり、深い言葉だった。

有料ゼミなので、すべてをここには記載できないが、一番最初にグサッときたのが「僕は君が聞きたい答えを探す装置ではない」というフレーズ。団さんが若かりし頃、良い文章を書きたいと思い、自分が考えた構図の文章に相手を当てはめるように、誘導し、言葉を引き出そうとしたのが、相手にばれ、そのインタビュイーから言われた言葉らしい。

自分が考えた文章構図があって、そこに当てはまるピースを引き出すためにインタビューをするのは、相手に失礼だし、それは面白い記事にはならない。インタビューの極意はむしろ、相手方がいつも(他のインタビューでも)語るような内容ではなく、相手もしゃべったことが無いような内容を引きだせたとき、相手に考えさせて喋ってもらえたときが、一番面白いのだ、と団さんはおっしゃっていて。

自分はそうやってインタビューをして、相手から言葉を引き出し、文章にすることはあまりないけど、普段人と会話をする中でも「次は自分は何言おう?」と考えながらしゃべることが多いので、相手に寄り添い、相手の雰囲気を感じ取り、相手に考えさせる問いを投げかけて、良い情報を引き出す、というのは非常に高度なスキルなような感じがした。

もう一つ印象的だったのは。
団さんがいまされているお仕事「駒沢こもれびプロジェクト」について、「目指しているのは、駒沢の人たちを消費側から生産側へ変えていきたい」と話されていて、その「消費側から生産側へ」というフレーズが、まさに最近自分が感じている人生のテーマだったので、ちょっと興奮した。

講義後のオンラインの交流会で「なぜ三浦さんはそのテーマ(消費側から生産側へ)が響いたの?」と同じ受講者メンバーから聞かれ。

新卒から18年間同じ会社でサラリーマンとして勤めてきて、下手をすると何も価値を生まなくても、オペレーションを回すだけでもお金がもらえてしまい、そこでもらったお金をただ日々消費するだけ、という生き方に疑問を感じたから。息子たちを見ていても、YOUTUBEやゲームを楽しそうにやるけど、アレも単に誰かが作ったものを消費しているだけ。
自分たちが作る喜びや面白さを子供にも味わってほしいし、自分もちゃんと生産側でいたいと思ったから。(生産側とは広い意味で、文章を書くのも料理を作るのも、作物を作るのも、DIYをするのも、コミュニティーを作るのも含まれる。できればそれでちゃんとお金をもらい経済を回せるとベスト)

そのような(自分の思いの)言語化が出来て、ちょっと自分の中でもスッキリ。文章ってなんか楽しい。人からの気づきを得て、自分と対話し、考えを整理する時間でもある。

でも今後こうやって文章を書き続けるとしたら、私は誰のために、どんな文章を誰に向けて発信したいのだろう?そこはちゃんと向き合わないとダメだなと思った、ゼミ3回目。

たまたま見つけて申し込んだゼミだけど、結構面白い。
次回もこうご期待。


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