パートナーシップについて考えてみた
最近、ワークショップとかで地域創生について考えることが多かったので、その中でどうしても地域過疎化の問題、若者が出ていく問題、若者が残っても結婚しない問題、結婚しても子供を作らない問題等が出てくる。
政府も出生率(正確には「合計特殊出生率」というらしい)を「1.2」→「2」に引き上げたいとしているが、施策が功を奏していない。
この結婚しない問題、子供を作らない問題の背景には、結婚したら大変そう、子供作ったら大変そう、というイメージがある気がしていて。
それはすなわち、若い人たちの周りに幸せそうな夫婦関係を築いている人がいない、とか、幸せそうに子育てしている人がいないことが起因している気がする。
もちろん公園にいけば子供たちが遊んでいて、それを優しく見守るお母さんやお父さんの姿は見る。それに最近では保育園の朝の送りはお父さんも多いように思える。
しかしよくよくその実情を聞けば、平日母親だけが時短をとって仕事後、ワンオペ育児で大変だとか、子供が出来たら夫婦関係が変わってしまって、セックスレスどころか、会話レスになるなんて事もざらにあるのだと聞く。
結婚しても3分の1が離婚する時代だ。
昔は、父親が働き、母親が家を守る時代だったので、離婚するとそもそも経済的に母親と子どもが生きていけない。だから離婚率が低かったように思うが。
今は夫婦共働きの時代。その分、子育てはお父さんお母さん共に大変だとは思うが。経済的な面だけを考えると、いつでも離婚のカードが切れる状態にあると思う。(特に仕事をこなしながら、時短をとって家事育児をワンオペでこなしているお母さんなら、そもそもお金が多少減ったとしても、お父さんいなくても困らないのだろうと推察する)
良い夫婦関係であり続けるのが難しいなと思うのは、恋愛→結婚(2人の状態)→子供生まれる(3人以上の状態)→子供が大きくなる→子供が巣立つ(再び2人の状態)で、夫婦の関係が少しずつ変わっていくということにあると思う。
特に子供が生まれるタイミングで、女性は一気に強くなる。(気がする。笑)
やはり10か月お腹に赤ちゃんを宿しているというのは、気持ち的にお母さんに少しずつなっていくプロセスを踏むのだろうし、生まれてくるまであまり子どもに対して父親的感情がわきづらいお父さんは、生まれてくる時点で一歩出遅れている。笑
そしてここが大事なのだけど。
生まれた直後から、育児と家事のオペレーションにちゃんとお父さんも入っていかないと、お母さんは大変ながらお父さん抜きの家事育児オペレーションを作り出してしまい、後からお父さんが中途半端に参加しようものなら、「それは違う!そこはこうしないと効率悪い!(そもそも途中から参加してくんな!一番大変なところに参加せずに!)」という怒りに触れることになる。(これをある育児本では、「新店舗のオープニングバイトから入って、マニュアルを一緒に作れるのか、それともお母さんが作ったマニュアルを後からやるのか、という差がある」という記述があって、非常に納得した覚えがある。笑)
そして、この子育て期(特に幼少期)に、お母さんの意識は、80%~100%子供に向くので、お父さん的には「あれ?もう恋人モードは終わりですかね?」的な戸惑いも発生するのかもしれない。(夫婦による。笑)
そしてここでお母さんたちは、「子育ては私がしているのよ!」というマウントをとることで、お父さんに対して一気に強くなる気がするのだ。(いわゆる尻に敷かれるというやつ。笑)
まぁ子育てが仕事より大変なのは、下記noteにも記載したとおりなので、そうなのだけど、ここで夫婦関係が変わってしまう、というのが一つのミソかな。(ここを一緒に乗り越えられた夫婦は強いし、逆にここで溝が出来た夫婦は関係性において変化への対応が求められる)
で、そこから、だんだん子供が大きくなっていき、まぁ家庭家庭によっても「どこまで家事育児を真剣にやるのか」「受験含め教育にどれだけ力をいれるか」によっても異なってくるので、何とも言えないが。家庭家庭の父親母親の役割であったり、関係性が決まっていき、それが定着していく。
ここでまた子育てにはまって、沼って、悩んで、子育て命!みたいになる親がいるのだが。個人的にはそれはやめたほうが良いと思っていて。
なぜなら大体そういうケースは、親が過剰に子供に期待したり、子供に関与したがるので、子供の意思決定能力を奪い、子供が親の価値観で生き始めたりすることにつながるので。
子どもは子供の人生。子供が自主的主体的に人生を生きられるように、サポートはするけど、親は親の人生をちゃんと生きて楽しんでいることが大事、と個人的には思っている。
なぜなら、子供は小学校高学年くらいから親のいう事なんて聞かなくなるし、そこからは親以外の自分の師匠を見つけて、そこから学んでいくものだから。(はなまる学習塾の高濱先生がそうおっしゃってます。笑)
だから親としては、もちろん、子供の様子は離れて見ながら、生活圏の中で「自分のことは自分でする」とか「お手伝いだって、家族の一員としてちゃんとやる(なぜなら、親だけが家事をやって子供が『ごはんまだ?』とTVを見ているのは、非常識だし、腹立つから。笑)ということを、徹底的に教えて、一人で暮らしていける(主に生活)スキルを身につけさせるのが良い気がする。
で、パートナーシップの話に戻るのだが。
親が、子供の人生は子どもの人生、親はちゃんと自分の人生を生きようとした場合に。お互いのパートナーが、子育てという文脈はさておき、一生一緒にいる価値や意味があるのか、というのは、多分だけど、あまり家族間や夫婦間で触れられないし、タブー視されているように思う。
なぜなら日本では、家族仲良く、離婚はできるだけせず、一生一緒に添い遂げるのが美しい、という価値観が根強く浸透しており。だからこそ、芸能人の不倫とかには、やたらバッシングがされ、芸能界から抹殺するような国なので。苦笑(人の不倫とか放っておけよ、と個人的には思う)
でも、私が29で結婚するときに思っていたのは。私はいつでも離婚される可能性がある。お互いに内面も外面も魅力的であることを怠っていたら、(共働きで経済的に困らない以上)いつでも離婚されてもおかしくないのだ、と思っていて。それは結婚して12年たった今も結構本気で信じている。
夫婦が一緒にいる意味、意義って、何なんだろう?子育てのため?では子育てが終わったら?思い出を語らうため?それとも老後が寂しいから?
もし仮に老後が寂しいからなら、夫婦だけで家にいるより、色んなコミュニティに入って、仲間を増やしたほうがよっぽど効率的である。
少し話は変わるけど。
友人関係って、昔の友達とたまに会うことはあれど、やっぱりずーっと一緒にいる友達って少なくて。なぜなら自分の成長ステージとか、所属している組織やコミュニティによって、一緒にいる仲間が変わるのは当たり前だから。
だから、夫婦だって、同じ成長スピードで成長するなら、あるいは同じ方向性を何か目指していてお互いに一緒にいることがプラスになるなら良いけれど。
そうでないのであれば、ひょっとすると、子育ては子育て。パートナーシップはパートナーシップで分けて考えた方が良いのでは?とも思うのだ。
フランスとかでは事実婚も多いと聞く。
結婚という制度そのものが、何か日本人の価値観を縛る足かせになってるのかもなーとも思ってしまう。
もっと人間は自由でいいし、好きな人と好きなタイミングで刹那的に出逢い、別れ、そして死んでいく生き物なのじゃないかなーとか。
そんな哲学的な?ことを考える週末の夜更け。
これに共感する人はいるのかな?
これを知り合いの沢山いるFacebookに挙げたら炎上するか、いいね!が一つもつかないのだろうか。笑
意外とフェイスブックで誰がいいね!をしているかも見られてる?、気にしなければいけない?変な日本人社会。
もっとフランス人みたいに自由に生きようぜ。笑
(ちなみに私はまだ離婚してませんので。あしからず。笑)