離島に学ぶ生きるすべ
離島経済新聞(リトケイ)の記事を再編集して作られた本「世界が変わるシマ思考(離島に学ぶ生きるすべ)」を読んだ。
日本には400余りの有人島があり、そこでは10数名で暮らしいている島もある。高齢化が進み、若者は島外に出ていき、過疎化が進むことで病院やスーパーのようなインフラも無くなっていく。(もちろんコンビニもない)あとは廃れていくだけ。そんなイメージさえある。
が、島には島にしかない魅力がある、むしろ都会生活によって失われた、人との繋がりや自然の恵み、伝統文化。そんな魅力にもう一度価値を見いだして、島にUターンして戻ってきたり、Iターンして島に移住する人が増えているという。
島の文化、暮らしを守るために、教育に力を入れて、島留学というような取り組みをしている島もある。また教員不足のこの時代に30人の生徒に20人の先生がいる学校もあるらしい)
島に来てもらえる人や島を応援してくれる関係人口を増やしていこう、という動きもある。それによって、ドローンやAI等の最新取り組みを島で試しているところもあるようだ。
島にあるものを活用して、新たな産業を創ったり、島にないものを見つけて、新たに文化を創ったり、あるいは島に受け継がれてきた祭りを守っていったり。取り組みは様々。
何より印象的だったのは、
・都会は競争社会で、全て自己責任で孤独。島は共助社会で、(繋がる面倒くささはあるが)誰も見捨てないし、孤独になり得ない。
・都会は何でもあるけど、お金で消費するだけ。島は何もないから、自分たちで創り出す。それによって生きる力が身につく。
・都会では、老人が邪魔者扱いされがちだけど、島ではその方の持ってる知見や経験が、文化の継承そのものであり、敬われる。
そんなパワーフレーズが 随所に散りばめられていて。生き方を考えさせられる。
養老孟司先生も、この島の暮らしこそが本当で、都会の暮らしこそモロくて持続可能ではない、という。そしてなぜ島と都会でそこまで暮らし方や価値観が異なってしまったか、というと、モノが溢れてお金で何でも手に入る時代になったからこそ、都会では分断が生まれ、島では何もないからこそ、共助が生まれる、という分析も秀逸だ。
私は、数年前にコレクティブハウスという北欧型シェアハウスに住んでいて、そこでは、老人から子どもまでいる20世帯が、月に複数回皆で食事を食べたり、活動グループで地域に開いたイベント(餅つき、流し素麺など)を実施したり、月に一度暮らしや管理費の使い方について話し合ったり、そんな暮らしをしていたので。
本著作のいう人と人の繋がりや、自分たちで暮らしを創っていく豊かさが少しは分かるつもりではある。
でも、賃貸住宅だったので、いつでも引っ越せたし、都会暮らしではあるので自己完結しようと思えば出来る暮らし(コミュニケーションする仕組みはあるが、どこまで自分で開いた暮らしをするかは自由)だったので、本質的になにか運命共同体という感じはなかった。(そこに住んでいて一番心強いと感じたのは、台風や地震のときだったかも)
また、3年前にそこから引っ越して、一軒家を建てた今。ご近所さんと、ゆる~いコミュニティを作るべく、レンタル畑で採れた野菜や作りすぎたお惣菜をシェアしたり、冬は庭で焚き火を囲んで話したりするんだけど。
やっぱりそのコミュニティは限定的だし、誰か言い出しっぺがいなくなると、すぐに消えてしまう関係性にもなりかねない。
だから、島に移住しよう!とはすぐならないが。笑
でも、島の暮らしに学び、自分たちの周りで何が出来るか、考え、話し合い、何か形にする事は出来るかも。
PTA、自治会、地域ボランティア…
響きは面倒くささがプンプンするけど。笑
そういうコミュニティの価値が今やっぱり再度問われている気がするなー。
女性も男性も働く忙しい時代だからこそ、組織の活動の関わり方のアップデートは必要なんだけど。
文章のあとはコミュニティデザインを学んでみようかな。