自由に生きようとすると皆が心配し反対します。笑

昨年末に、2025年以降の目標として「右脳的に生きる」とnoteで宣言した。

ところが、右脳的に生きようと、自分の感覚に従って、自分がふと思いついたときに、衝動的に行動すると、色んな人から反対にあったり、イヤな顔されたり、本気で心配されたりすることが分かってきた。(←面白い。笑)

「人はなぜ右脳的に生きる人を心配し、反対するのか?」
今日はこの問いについて考察してみたいと思う。笑

少し具体例が必要だと思うので何個かあげよう。
・あるお休みの日の午後、ふと「クルミドコーヒー」で本を読みたい!と思い立ち、妻と子供に黙って行ったら、帰ってきて妻にめちゃ怒られた。
(←これ聞くと当たり前じゃん!と突っ込まれそうだけど。笑 その日の午前中は子供2人をプールに連れていき、午後は妻が子供を公園に遊びに行かせていた。つまり午前午後で役割分担は出来ていた。帰りは遅くなるつもりはなかった。ただ、突然カフェに行くというと「なんで?」とか言われそうで嫌だったのでフラッと行ったのだ。言い訳言い訳。笑)

・BIZIONARYという日本仕事百貨さんが主催する7社合同選考ワークショップというものがあり、その会社7社もそうだし、その採用の取り組み自体が面白そうなので参加してみた。そのワークショップが1泊2日だったので、その間子供を預かってくれ、と両親に頼んだら、「せっかく大企業にいるのに、そんな小さな(有名でない)会社に行ってどうするんだ?まだ子供も小さいのに大丈夫なのか?給料は下がらないのか?」と謎に心配・反対された。(←まずその会社の人たちに謝ってほしい。どこも規模は小さくともとても社会的に意義のあることをしていて、とても優秀な人たちのいるステキな会社でした。大企業とかそういう意味のない価値基準、早く捨ててくれ。)

・ある日、午前中に会社の事業部長たち4人に対して、今の事業部の課題を踏まえた、新規プロジェクト(7つ)の提案をして、その日はもう疲れたので、同僚に「今日は午後休にしてカフェでも寄って帰るわ」と言ったら、「うちの会社そんな自由だったっけ?笑」とちょっと驚かれた。

どれも大した話ではないし、他人の価値観なんて気にする必要もない。(家族でのすり合わせはちょっと必要かもしれないけど)

でも、どのエピソードにもその心配する人なりの「普通はこうじゃない?」という価値観があって、それをもとに、大真面目に心配・反対している。

それって結構滑稽で。あなたの価値観であなたが私のことを心配するのは結構だけど、それはあなたの問題ね。私には関係ない。私は私がわくわくする方向に行くだけ。それで多少人に迷惑かかったとして、「ごめんね~」と言えば終わる話だ。

あ~そういえば、こんな話もあった。
先日、最近はまっている胡桃堂喫茶店(クルミドコーヒーの2号店)で週末の朝、定期的に開催されている「朝もや」という企画に参加してきたのだが。

そこでは、胡桃堂喫茶店を愛する?あるいはその店主影山知明さんのファン?または、この「朝もや企画」のファンが20~30人くらい(20代〜80代まで幅広い)集って、「最近もやもやすること」を共有し、その中で「今日話し合いたい事」を決め、そして色んな人がいろんな尺度でそのテーマについて意見しあう、というこれまた面白い哲学カフェ的なもので。

その中で出てきたモヤモヤの一つに「なぜ飲み会は前日になると参加するのが憂鬱なのか?」というのがあった。これに対する私の答えは明確で。「この飲み会を企画するときには楽しそうと思ったけど、前日はその気分じゃなかったから」である。つまり右脳的に、「いつ誰とどう過ごしたいか」というのは非常に流動的で、自分でも読めない。だから飲み会の前日に、企画したときと同じくらいのテンションで「明日楽しみだな~」と思うことは稀なのだと思う。

つまり。
右脳的に生きるということは、まず直感的で、(自分も含めて)予測不可能で、かつその感覚は簡単に他人と共有できる感覚ではないので、他人にとっても当たり前だけど予測不可能で唐突で。近くにいる人にとっては「なんで?」となる。それが時に不快に思ったり、不思議に思ったり、心配になったり、そういう感情に繋がるのだと思う。

加えて、世の中の人は、「親だから~であるべきだ」「夫婦だから~すべきだ」「会社員だから~あるべきだ」という固定観念が強く、日本人は特にそういうところに真面目なので、多かれ少なかれ我慢しながら、抑圧されながたら生きていて。(それは誰か特定の人の価値観ではなく、周りのなんとなくの空気感を読んでいるということだと思うのだけど)

だから、右脳的に自由に生きている人を見ると。
「俺はこんなに不自由に生きているのに、なんでお前は自由に生きているのだ!」というそういう潜在的な不満がバッと出てしまう、という側面もあるように感じる。

インターネット上の匿名のアンチコメントなんてほぼコレじゃないかな。
(芸能人の不倫バッシングしている人のほとんどは不倫したい!みたいな。違うか。笑)

だから自由に生きるって、結構衝突も起こすし、でも、それを「ハハッ、おもしれ!」って笑い飛ばしながら生きる精神力もちょっと必要なのかもな、と思ったここ最近の気づきでした。

でも、もう右脳的に生きることはやめられない。笑
だって楽しいから。2025年は確実に人生の大転換期になる。
そんな気がします。また変化についてはnoteでお知らせしたいと思います。

では、またね!


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