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私がnoteを辞めた理由

noteを辞めたのは、私にとって苦痛だったからだ。
三年もの間、仲良くさせてもらっていた人から、知らないうちにフォローを外され私のコメントも記事から削除されていた。
私はフォローを外されていることに半年も気が付かなかった。

なんでか理由はわからない。
一度謝ったが返事はなかった。
よく考えると自分のどこが悪かったのか、わからないのだから謝ることなんてなかったのかもしれない。

でももしかしたら気がつかないところで嫌な思いをさせていたのか?

ぐるぐる考えていたら、気持ちが落ち込んできて、もうnoteで活動するのが苦痛になった。他人は、そんなことでそれまでのフォロアーさんだって付き合いだってあるのに、辞めることはないと思うかも。

でもそれだけショックだった。

自己紹介は300、一つの記事に50ついていた私の記事はなくなった。
これまでの成果も全部ゼロになったし、もちろんそれまで使っていたペンネームも捨てた。全てのサイトからそのアカウントを丸ごと削除した。

本当にそれでよかったのかな。
そう思うこともある。
でもまた、一からやり直したかった。
何もないところから、しがらみを忘れて⋯⋯。

本当は詩だけじゃない。エッセイも小説も書いていた。
もっと仲のいい人もいた。
今はごめんって感じ。
本当メンタル弱い。

なんて弱音、吐けるのも自由になったからだと思う。

戻ってきたのは、やっぱりどこかに居場所が欲しかったから。

日常が本当にどうしようもなくクソで、そんな生活の中、
ここだけは確保したかった。

書いていて、まだ引きずっているなーって思うけど。


今日、東京創元社のSF短編賞に応募した。
かなり前に書いたものだ。
一度落選しているものを改稿した。
小説賞が取れなくても、誰か私の作品に○をくれる編集さんが
いないかなーなんてね。
こればかりは運も関係あるから、自信あってもなくてもしょうがない。

いいかげんガチ勢はやめようかなとも思ってる。
小説は書いていて楽しい。
でもそれを誰か大勢に不特定多数に広めたいなんてこと
望むから苦しくなるんだ。
書いていて楽しいだけでいいんじゃないかな。
この年齢になって、ようやくそんな風に肩の力抜いた思いが
湧いてきた。

noteでは自分の意見をゴリゴリ押してくる記事をよく見る。
それはそれで必要とされているのかもしれないけど
自分にはできないし、読むのも無理。
もっと気軽に書きたい。気楽でいたい。
誰かをマジにさせるような投稿は疲れる。

自分のペンネームを変えていいことがあった。
それまではリアルで知られてしまっていたので
本音は書けなかったので制約があったけど
もっと楽に書けるようになった。

もっと早くからそうしておけばよかったな。

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