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「うずまき」を追いかけて

長年、「うずまき」を探しています。
わかりやすい例は、ゴッホの絵の、空の描写などにみられるうねり、渦を巻くようなイメージです。

ずっと探していましたが、新たな動きはなく、最近は少々くじけておりました。

先日、「世界ふれあい街歩き」(NHK)という、世界の街を歩いているように感じられる番組をみておりました。
その日は、アイルランド・ゴールウェイという街だったと思います。

街頭で、アーティストのおじいさんが自分のつくった作品を売っていました。

そのなかのひとつに、3つの「うずまき」模様がある作品がありました。
おじいさんが説明をしてくれたのですが、
「ケルト」
「うずまき模様」
「命の循環を表している」
というキーワードがあり、そこにハッとしました。

これだ!!「ケルト」だ!

急いで図書館で本を探し、
何冊か借りてきました。

鶴岡真弓『ケルト 再生の思想―ハロウィンからの生命循環』(ちくま新書)を読んでみたところ、

『ケルズの書』
「ケルト渦巻文様の誕生」
「渦巻と生命循環の思想」
「意識の流れ」
という言葉が目に飛び込んできました。

「意識の流れ」という表現手法を近代文学に拓いたのは、ジョイスという小説家なのだそうです。

本文から引用します。「渦巻と生命循環の思想―融合のスパイラル」というチャプターからです。

"ジョイスを魅了したものとは、「終わりのない無限循環」へと入っていくスパイラル構造である。これが「ケルト的」といわれるデザインの真髄と確信したとたん、彼の意識の流れは、一層スパイラル状にうごめき出した。たとえれば二十世紀の「生の哲学者」アンリ・ベルクソンが唱えた分割不可能な意識の流れ、「持続(デュレー)」であるだろう(『創造的進化』)。この思想を1200年前のケルトの修道士は視覚芸術で完成させていたといえるかもしれない。言葉も物も時空も分割不可能な意識の流れであることを、文学で大実験したのはジョイスであり、ジョイスが『ケルズの書』に深く心酔した理由がここでも明らかであろう。世界にさまざまな渦巻文様があるなかで、『ケルズの書』や『ダロウの書』や『リンディスファーンの福音書』の装飾写本、「タラ・ブローチ」や「バタシーの盾」などの金工品、および初期キリスト教時代の「ケルト石造十字架」に施された「無限のスパイラル」はケルト美術以外にはほとんど他の民族の美術にはみることができない脅異の構造・意匠である。"

循環
スパイラル
意識の流れ
ベルクソン
持続
創造的進化
渦巻文様

つながってきた!!
そこで一気に大興奮して、思わず部屋のなかでひとり踊りました。

そうやって調べていくうちに、ひとつの曲との出会いがありました。エド・シーランの曲です。

彼の「スーパーマーケット・フラワーズ」という曲、そしてそのアニメーションビデオを、ほしよりこさん(猫村さんの作者!✨)が手がけていることを知りました。

YouTubeで見てみました。
すばらしかったです。週末はずっとこの動画をみていました。まばたきするたびに涙がこぼれました。

ネットを調べてみたら、CasaBURUTUS (April 20,2019)の記事で、この曲とアニメーションビデオについて紹介されていました。

この曲は、エド・シーランが、亡くなったおばあちゃんを歌った歌で、
ほしよりこさんは、エドのライブをみてケルト色を強く感じ、
アニメーションの製作にあたって
エドのおばあちゃんのルーツであるアイルランドをみてまわったそうです。

ちょうどケルトについて調べているところでこの曲を聞きましたので、すごいタイミングだと思いました。

こころの深いところにしみてくるような、おばあちゃんが亡くなって悲しくて仕方がないんだけれど、祈るような、命の循環そして再生を思うような、ことばであらわせない気持ちが静かに、しかしあふれるように生まれてくるのを感じました。ケルトの、生命の循環と再生の思想がイメージとして入ってきました。

そしてまた、いまある命を生きている人々も、傷ついて、悲しい思いをして、それを乗り越えていく過程で、傷ついたこころの揺り戻しに苦しんだとしても、きっと再生する、必ず再生できる、ということも考えました。

また、アイルランドに行ったことはないのに、風の音が聞こえるような気がしました。あの土地の、海を渡る風や、鳥や、さまざまな景色、人々のこころに息づくものがイメージとしてこころの中に入ってきました。

日本でも、その土地のこと書いた書物を「風土記」と言いますが、
その土地を感じたいと思ったら、
「風」と「土」なんだなあと、そういうこともすごくストンと理解できたような、そういう気持ちがしています。

いくつもの発見と気付きとテーマがあり、頭の中を整理できなかったのですが、少し落ち着いて『ケルト再生の思想』をパラパラとめくっておりましたら、巻末の紹介ページにある、

『縄文とケルト』(松木武彦 著)
『アイヌと縄文』(瀬川拓郎 著)
という本のタイトルが、目に飛び込んできました。

それでは、縄文時代とケルト民族とアイヌ民族もつながってくるということなのだろうか。

…このように、調べ始めるとエンドレスです。しかし調べれば調べるほど、知れば知るほど、つながってゆく何かを感じています。

お読みいただきありがとうございました。

(2023年9月4日に書いたものです)

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