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Heaven(18話) ――どんな未来になったとしても、僕らは誰かを想うだろう 【連載小説】 都築 茂
次の日は雨で仕事は休みになり、僕はシンジのいる病院に向かって歩いていた。雨は弱く、傘をさしていても音がしないほど細かい雨粒が、朝からずっと降り続いている。
病院に入ると待合室に二人、座っていた。シンジは診察中だろうと思い、僕は2人から離れた空いた椅子に座った。ぼんやりと窓の外を見ていると、先に待合室にいた二人はぽつりぽつりと会話をした。二人は女性で、見た目の年齢からは親子のように思えた。
ふと、窓の外を見慣れた人影が通り、ドアを開けてカンナが入ってきた。
「あ、ユウヤ。」
カンナはそう言って、待合室の中をちらりと見てから僕の隣に座った。
「どうしたの?」
「雨で仕事が休みだから、シンジの手伝いでも、と思って。」
僕はこの前、図書館でアキと本を探した時の話をした。
「シンジが新しい薬を作ろうとしていることは、私も知ってる。これ、薬草なの。シンジから頼まれて。」
カンナは、手に持っていた布の包みを僕に示した。
「シンジは本であれこれ調べていて、試してみたい薬草があるんだけど他の草と見分ける自信がないからって、相談されたの。まあ今までも薬草を育ててシンジに届けていたから、ひと手間増えただけかな。」
大したことじゃないの、とカンナは言った。僕はカンナが草むらや林でかがみこんで薬草を探したり、取ってきた薬草を洗ったり乾燥させたりしているところを想像した。
シンジは変に鈍感なくせに、医学に対しては純粋で真っすぐで、僕らはどうしても放っておけなくて手伝いたくなってしまうのだろう。シンジ本人が無自覚なところは少し腹立たしいけど、カンナも僕もアキもシンジのやろうとしていることに巻き込まれたいのだ。多分。
先に診察室に入っていた患者が出てきて、シンジが顔を出した。
「あれ?二人?」
僕とカンナが一緒にいるのが不思議だったのだろう。シンジは驚いた顔をして、言った。
「私は、薬草を届けに来たの。」
カンナは、布の包みを示してみせた。シンジは、ああ、と小さく頷いて、僕を見た。
「僕は、図書館に行くついで、だ。」
「ついで?」
僕の家からは図書館より病院のほうが遠いから、シンジは首をかしげて考えてから、中に入った二人を目で示して言った。
「終わるまで、待って。」
僕とカンナが頷くと、診察室のドアは閉じられて、僕らは待合室に二人きりになった。
「ねえ、ユウヤ。何か、いいことあった?」
「え?何もないよ。なんで?」
「何か、肩の力が抜けたような。佇まいが変わったような。」
カンナが僕の目をのぞき込み、僕はとっさに体を後ろに引いた。
「昨日、屋根の上で初めて作業したんだ。それかな。」
カンナは僕の目をのぞき込んだままで、言った。
「ああ、大工なのに…って悩んでいたやつ?
ナオさんは、ユウヤはちょっと慎重すぎるだけで心配はしていない、って言ってたよ。」
ナオの名前が出てきて、僕はカンナに心の奥を見透かされている気がして、あわてて目をそらした。
昨日ナオは、シンジを別れて僕と一言、二言かわした後、目を細めて微笑みながらこう言った。
「ユウヤ、少し下を見て、目をつぶって。」
僕はよくわからないまま、少し下を見て目をつぶった。
ナオが動く気配がした後、唇にやわらかい感触があった。驚いて目を開けるとナオの顔が目の前にあって、ナオが僕にキスをしたのだとわかった。
「よかった。届いた。ユウヤ、背が高いから。」
ナオはさっきと同じように微笑んで、テツさんが待っているから行こう、と先に歩き出した。僕は、人生で初めてのキスだった。
――― 19話へつづく