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Heaven(27話)~親友の涙~ 【連載小説】 都築 茂

「で、ついでに頼みごとがあるんだけど。」
アキは遠慮がちに、でも、僕が断らないと分かっている顔で、返事を待たずにカウンターの下から重そうな手提げ袋を出した。
「シンジに、届けてほしいの。雨続きで本を借りに来る人が多くて、届ける時間がなくて。」
本当は私が届けに行きたいんだけど、とアキは小さくつぶやいた。
「いいよ。今から行ってくる。」
僕は神話の本も手提げ袋に入れて、肩に掛けた。
「ありがとう。シンジに、遅くなってごめんって伝えて。」
「わかった。伝えるよ。」
じゃあ、と僕が言うと、アキは小さく笑って手を振った。
扉を押して図書館の外に出ると、あっという間に肌が湿気を帯びる。雨は2階の窓からガラス越しに見ていたよりも、激しく降っているように感じる。僕は傘を広げて、歩き出した。
雨の日は、いつもと違う音がする。傘に雨粒が落ちる音。地面に雨が落ちる音。風が吹いたとき、雨に濡れた木々が揺れる音。水を含んだ土を踏む音。
シンジがいる病院に向かって、いつもの道を歩く。そういえば、カンナが探していた薬草は見つかっただろうか。
 ふと、あの十六才の旅で行った誰もいない街を思い出して、僕は十字路の真ん中で立ち止まった。あの時も雨が降っていた。広い道は固められ、見たことのない大きさの建物や機械があった。シンジやアキと一緒に見たあの街の病院は、複雑な設備と病室で整えられていて、シンジが持ち帰った器具の中には錆もなく今でも使えるものがあった。
 僕の目の前にあるのは、砂利と水たまりのでこぼこ道で、道端には雑草が伸びている。左右は田や畑や雑木林で、あの街の景色とは全く違う。
ここが現実ではないような、夢の中のような、目眩のような感覚がして、僕は四方の道の向こうを見まわした。隔離棟のある方向からこちらに歩いてくる小さな人影を見つけた。だんだん近づいてくるのを待っていると、シンジだと分かった。
シンジは下を向いて歩いていて、僕に気付かない。声が届く距離に来るまで待ってから「シンジ!」と声を掛けた。
顔を上げたシンジは、僕の顔を見ると眉をハの字にした。武器のケースのことを知らせに来たときのタケルを思い出して、僕はシンジをからかいたい気持ちになったけど、その気持ちはすぐに引っ込んだ。シンジが、泣き出したからだ。
声もなく両方の目からポロポロと涙をこぼすシンジを前に、僕はかける言葉が見つからなかった。隔離棟の方向から来たことを考えると、父親のことで何かあったのかもしれない。僕はシンジが落ち着くのを待つことにして、雨の中で傘をさしたまま立っていた。
そういえば子供の頃からシンジは声を上げて泣くことがなくて、遊んでいて転んでも子供同士のケンカでも、こんなふうに静かに泣いていた。父親が実の弟を殺したという家庭事情のせいなのか、元々の性格なのか分からなかったけれど、僕はいつもそばで突っ立っていることしかできなかった。
しばらく泣いた後、シンジはシャツの袖で頬を拭ってから言った。
「父さんが今日、初めておじさんのことで話をした。今まで一度もきちんと話したことがなくて、僕が会いに行っても“いつも、すまんな”って言うだけだったのに。」
シンジは話しながらまた涙が込み上げてきたようで、もう一度シャツの袖で頬を拭った。
「『おじさんは何年も何年も病気で苦しんできて、手も足も動かせなくなって、最後は寝ていることしかできなくなって、もう痛くて辛くてお願いだから死なせてほしいと毎日泣いていた。父さんはおじさんとは何度も話し合った。おじさんを殺したことは今でも後悔していない。でも、お前や母さんにはつらい思いをさせてしまって、本当にすまない』って。それから、」
シンジはまた、涙をこぼした。
「『お前が医者を志したことを、誇りに思う』って。」
シャツの袖で涙を拭うシンジに、僕は「病院まで歩こう。」と言った。
シンジはうなずいて、僕らは並んで歩き出したけど、僕はやっぱりかける言葉が見つからなかった。

――― 28話へつづく


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