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初めての…というわけではないけれど

自己を紹介する文章を書かずにぬるっとnoteを始めて、散文をいくつか書いては公開して下書きに戻して、を繰り返して7年が経っていた。先日久しぶりにログインしたら「noteをはじめて7周年記念!」というスタンプが表示され、もうそんなに経っていたのか、と思った。

あまり積極的に人に読んでもらうために書いてこなかったが、それは人に認めてもらいたい、賞賛されたい、という欲求の裏返しだった。
人に読んでもらうために書くということは、評価の目に晒されるということ。それはつまり、批判や酷評をも甘んじて受ける覚悟を持つということ。
「自分が天才だと信じていたかったら、作品をどこにも発表しないでいること」とはどこで読んだ言葉だったか。まさに私がそれ。評価されなければずっと天才でいられる。自分の中では。

半世紀近く生きてやっと己の小ささや能力の低さを認める気になって、改めて人に読んでもらうために書こうと思った。
なので、まずは自己紹介から始めることにする。お付き合いください。


「三葉マフラー」について

人生背景

ポスト団塊ジュニア世代、という、それそのものでは何者でもない世代に属する。

ニュータウンがギリ元気だったころのニュータウンで、超金持ちも超貧乏も見ない環境で幼稚園から高校まで過ごした。
「お父さんの給料は安い、うちは貧乏」と言われながら、確かに周囲の友人がみんな持っていたファミコンも、当時すでにどのご家庭にもあったリモコン式テレビもなかったので、そうかうちは貧乏なのかと思いながら育った。
友達の家でスーパーマリオブラザーズをやったときはBダッシュができず1マスの穴に落ちて死んだ。「Bダッシュ!Bダッシュ!」と横から言われたが「BダッシュがあるということはAダッシュもあるのかな」などと考えながら落ちた。

地元の中学校に進学し、主に氷室冴子や藤本ひとみを読みながら過ごした。「なんて素敵にジャパネスク」は今でも何回も読み返している。

イラストは峯村良子さんのが大好きで、中学時代に買い揃えた本を後生大事に持っている。

なんて素敵にジャパネスク 1巻

高校は地元有数の進学校と言われるところに何とか滑り込めたが、「すごい奴ら」の努力レベルについていけなかった。自分が努力していないことに気づかなかった。FM802のミュージックガンボをだらだら聞きながら勉強した気になっていた。努力する方法を学ばないまま大人になった。

最近気づいたこと

最近になってやっと、自分は努力もせずにここまで来れてしまったなあということに気がついた。両親からは小学生の頃から
「あんたは努力すればもっとできるのに、なんもせんでも人並み以上にできてしまうから、頑張らへんのやな」
と苛立ち紛れにさんざん言われていたが、当時は
「私かて頑張ってるわ。頑張りを認めないなんて、うちの親最悪」
と思っていた。今ならわかる。私が私の子供だったら私もいらいらする。というかうちの子が当時の私そっくり。遺伝怖い。

たいていのことは今でも経験と勘だけで乗り切れているが、一旦できないとなるとそこからリカバリする方法が分からない。いや例えばPCのこととか調べればわかることなら試行錯誤して「できた!」となるまで粘れるんだけど、人間関係の構築とかは本当に苦手。
人に好かれるタイプではないのに、なぜか周りに優しい人が多くて、つかず離れずの友人が何人かいてくれたおかげもあって、自分が嫌われる要素の多い人間だということに気づいたのも最近になってからだ。

なまけもので自己愛強めで傲岸不遜、人を見下しがちで教えたがり。
それが偽らざる私だ。

自分の好きなこと、趣味

学生の頃までは音楽を聴いたり本を読んだり写真を撮ったり、いろいろ好きなことがあってそれを追及していたけれど、20年も働いてしかも子供を育てていると、なかなか自分の時間を取ることができず、気づいたら起きてから寝るまで、家のことと仕事のことしかやらない日々が続いていた。
世の中そんなものだろうと思っていて、自分がなまけものであることは自覚があるので、「ほらまたそうやって『疲れた』って言ってさぼろうとする!」と自分で自分にツッコミを入れて何とか乗り切ってきたが、少し前に仕事が自分のキャパを完全に超えたのをきっかけに、精神の不調が人に迷惑をかけるレベルになったので、少し休むことにした。なまけものなので10年以上続けて働くと月単位でのお休みが必要になるのだ。ちなみに前回の月単位でのお休みは産休・育休だ。

精神科の先生には「今はやりたいことだけやってくださいね。やらないといけないこと、やったほうがいいなと思うことは後回しで」って言われたのだけど、いざ「やりたいこと」をやろうとしたら、よくわからなかった。
だって、読書も写真の勉強もリアル脱出ゲームもソシャゲもやりたいと思う。けど、読書は前々から積んである未読本読まなきゃなーって気持ちがあるし、写真の勉強は休職前にスクール申し込んで学費支払っちゃったから通わなきゃもったいない。リアル脱出ゲームは友達がチケット取ってくれるから行かなきゃだし、ソシャゲはログボもらわなきゃいけないから入らなきゃ。
そう考えると、私がやりたいと思ってることと、やらないといけないこと・やったほうがいいことの差異って何だろう、ってよくわからなくなった。

長い間、自分の好きなことを突き詰めるだけの余裕がなくて、話題のものや、人がおぜん立てしてくれたものに飛びついて適当に取り組んで「自分の時間を取れている」と思っていたけれど、そういうものじゃなかったよな。
休みの日に面白い本を探して図書館や本屋に入り浸ったり、より良い写真を目指して同じ被写体を条件を変えて何度も撮ってみたり、単純にひらめきの瞬間と脱出成功の快感や失敗の悔しさを楽しんだり、ゲームの周辺知識を調べたり聖地巡礼したり。
そういう、純粋な趣味の楽しさみたいなものを忘れて、読書も写真も脱出もソシャゲも、全部スタンプラリーみたいに、チェックポイントを通過するだけになっていた。

話題になる前に並ばずに食べられたぴよりん

好きなことを見つめなおしたい

もういちど、自分の好きなことや好きなものをじっくり考えたいと思う。
それの何が好きなのか、どこを楽しいと・好ましいと感じているのか。
そういうことも、頭で漠然と思っているだけでは輪郭を持たないから、言葉にして書き出していきたい。
そうすれば、誰のためでもなく、自分自身のために好きだと思えるものを再認識できるようになると思う。

箕面ビール祭り

noteの使い方

読んだ本の感想だったり、撮った写真の紹介だったり、挑戦したことだったり、参加したイベントのことだったり、私が気に入ったことを書くと思う。

何か一つでも目に留まって、面白いなと思ってくださる方がいれば幸いです。


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