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「ところであなたは、今何時」
人生は長くて短いものです。その中にある一日は、私達が毎日経験しているように、飛び去るような日没で終焉を迎えてしまいます。
私たちが物理的に移動している速度(速さ、もしくは早さ)について少し考えてみますと、
現実的には、地球の自転によって私達の一日が定められていますが、この1日24時間の速さは、事実上、音速以上の速さがあり、私達は音速よりも速く(早く)過ぎ去っている1日を毎瞬間経験していることになります。
地球が自転しながら公転している事実は、地軸の傾きによって発生する季節によって四季毎に体験していますが、その地球が太陽の周りを、軌道も外れずに公転している速度は、1日の地球自転速度の比ではありません。
時速1670kmの自転速度に対し、1年の公転移動速度は、
時速107000kmです。これは音速の64倍にもなります。
さらに、私達が住んでいる地球が属している太陽系は、広大な銀河系内を公転していまが、地球を含む8つの惑星を引き連れている太陽系自体が銀河系の中を移動する速度は時速828000kmです。
もっと言えば、その銀河系そのものも、無限で広大なこの大宇宙の中を時速2160000kmで移動しています。
つまり、地球が自ら回転している速度、地球が太陽を周っている速度、太陽系が銀河系内を移動している速度、それらを合わせると、私達はただ座っているだけで、時速300万kmほどの速度で動かされている事になります。
しかし、誰ひとりとしてその事実を物理的に、体感的に感じている人はいません。本当に不思議で奇跡的なこの現象を私達は日々経験しながら生活していることになります
驚異的な速度で動かされているにも関わらず、何事もなく、平静で平穏な生活が与えられていて、それぞれの人生を、この地球上で思い思いのまま過ごしているのが私達の生涯です。私達がそんな速度で移動している事等、誰も思いつこうともしないでしょう。
この物理的現象と同様に、私達の生きている人生は猛スピードで飛び去っています。人生は、経験している間は長いように感じるのですが、実はそれは一瞬でしかありません。
さて、私達の、その人生の寿命は、だいたい80年くらいでしょうか。地球が太陽の周りを80周するのに必要とされている時間です。
2024年での世界平均寿命は73.3歳。日本平均は84.4歳と言う統計がありますから、これら数値を平均し、男女問わず約80年を生涯として、それを1日に換算してみますと、生涯の短さを想像し実感する事が出来るかと思います。
つまり、現時点での私達の年齢から、生涯を1日に換算し、人生の中で、今が1日の中の、一体何時なのかを考えるのです。
「ところであなたは、今何時」と言うタイトルの通り、自分の生涯を1日として考え、午前0時に誕生し、24時間で生涯を終えると考えれば、年齢から残り時間を割り出す事ができます。そうすると、人生はそんなに長くない事を理解しやすくなるのではないでしょうか。
私達は1日のうち、今何時にいるのでしょう。年齢の経過と、今何時なのかを、人の成長と衰退と言う生涯で推し量りますと、だいたい以下のような流れになるのではないでしょうか。
まず、午前0時が1日のスタートです。その時点を私達の誕生と定義します。
人が誕生しました。物理的、精神的にも、この世界での存在が認められるすべての始まりです。はじまったばかり、つまり0歳の時には、勿論、その個人に意識や自我はまだ無いでしょう。
このスタートから私達の時間と人生が動き出します。午前0時、その時間は、ただその個人が赤ん坊として泣く事によってのみ、自己の存在を現わす事しか出来ていません。
さて2歳くらいになりますと自我が目覚めてきます。簡単な言葉の処理も可能になります。会話でのコミュニケーション能力が造られ、意思疎通が可能です。それを1日の時間に置き換えてみますと、午前0時36分頃です。自我や意識は猛烈な速度で加速し成熟しています。
5歳にもなりますと、目覚めた自我を土台にして、社会性が発達してきます。他者との関わりが発生します。ですが、その中での自分の役割を見出すまでには、まだ考えが及びません。書かれている言葉や数字の理解も始まり、観る事、聞く事によって情報を集め、活用の為、記憶し、潜在意識下の中でも、物事を組み立てています。1日で言えば午前1時30分頃ですので、まだ何も始まってはいませんが、これから物事をはじめる為の準備期間として、静かな個人確立が行われている時間帯です。
6歳から12歳くらいまでには、集団で教育を受ける場合が出てきます。社会で必要な基礎知識を学習します。ルールやそれを守る必要性、そして協調性を身に付けます。これは午前3時40分頃の出来事ですが、まだ夜中の範囲で、対外的活動には至りません。陽も光も射していない時間帯です。
18歳にもなりますと、第二次成長期が始まり、体が大人、成人へと近づきます。自己の確立と自分の進路を図る考えにまで及びます。
午前5時30分。そろそろ、活動を始めるタイミングである事を悟ります。この頃になると、夜明けが待ち遠しく感じられます。
26歳くらいになると、すでに初期の活動が始められていて、社会人としての実践を行い、その成果が問われます。仕事の基礎が身に付き、専門性も高まります。そして子孫の為、自らの助け手の確保である恋愛や結婚を強く意識します。午前8時12分。
自分の精神的な居場所を探し、そこまで移動する手段や移動場所、心の落ち着く所を選択しようとします。
朝の8時代、私達は活力を持って未来を目指し、信じ、活動目標を持つ喜びを感じます。自己実現が始められている時間帯です。
35歳になりました。人生の成熟を経験します。社会での活躍、仕事や家庭において重要な役割を担います。経験からくる体力や知力がピークに達する時です。自分に必要な色んなもの、道具等を購入する機会を持ち、自己決定していきます。
午前10時36分。仕事をしている人であれば、1日の中で、午前の仕事を仕上げる活力に満たされている充足した時間帯でしょう。そして、自己存在に生き甲斐を感じ、果てしなく未来が残されているような錯覚に陥ります。まだまだ人生はこれからだと思い込む時間帯です。
46歳です。仕事が充実し、管理を任され指導的立場に置かれます。同時に身体の衰えも感じます。子供達は成長し、親としての役割も意識しなければなりません。しかし、もう昼過ぎ、午後の1時54分です。
1日の半分は過ぎてしまいました。人生の半分も過ぎ去っています。でもまだ活躍の場が十分に与えられ、その期待に、あらゆる場面で応えなければなりません。ですから自分の終焉について考える事に意味を見出せません。今が尊く、今が自分のすべてに違いないと言う思いに捕らわれてしまっています。
57歳です。身体は更年期を迎え体調は変化します。仕事やキャリアも最終段階です。自分の親の介護や、子供の自立、独立等、生活の変化を経験します。陽が暮れかかっています。
夕方の午後5時18分です。この時間帯になりますと、人生の黄昏を感じるようになります。今までやってきた事が何であったのか、人生とは何であるのか、の自問自答に納得いく答えを見出そうとするでしょう。しかし、昼間の時間帯、太陽の下、陽が陰る事に関心や注意を持たなかった自分を見出すだけで、今までの人生の答えがみつかりません。光は薄れ、経験して来た物事の曖昧さに気づく事に、自ら恐怖を憶えます。
時は流れ、65歳です。多くの人が定年を迎え、仕事をしなくなる時期です。目の前の老後生活設計を始めます。健康や不健康に意識が高まります。余生を楽しもうと言う人は、比較的健康な人です。
午後7時42分。もう陽はありません。テレビ番組では1日のニュースがまとめて放送されています。今日はどんな日だったのか、自分の過ごしてきた今までの毎日はどんな日だったのか、改めて考える欲求に駆られます。もうすっかり辺りが暗くなってしまっていて闇が私達を覆い、その存在をかき消そうとしています。まだ残り時間はあると勘違いする時期ですが、あまりにも自分の末路について考えなかった為、再び光のある方向へ自分を向ける手段を思いつく事ができません。
75歳になりました。体力や記憶力の低下が顕著です。発病や介護が始まります。社会的活動は減少し、関わりが少なくなってしまい孤立する場合もあります。
もう午後10時42分にもなりました。人生最後のニュースに耳を傾けます。周りで何が起こっているのかも気になりますが、自分はこれからどうなるのか、自分にも何が起こっているのかも気になります。そして私はどうすれば良いのか。諦めと焦りが交互に顔を覗かせますが、どこに答えがあるのか、その場所の模索に、もはや見当をつける事も出来ません。
79歳を過ぎます。多くの人が要介護状態です。身体の自由が奪われ、生活に質がありません。しきりに人生を振り返ってはいますが、もはや明るい光のある過去の時間帯へ戻る事は不可能です。
午後11時54分になっています。もう時間がありません。1日と言う人生のすべてを、あと6分で使い切ってしまうのです。私達はどうやって、何を考えれば良いのでしょうか。夜は漆黒の闇に包まれ、私達は、その闇に飲み込まれようとしています。これからどうなるのかについても何の解答も持ち合わせてはいません。つまり、1日が終わってしまうと、その先がどうなっているのかについて、何も知りませんし、何もわからないのです。
2日目があるのでしょうか。いいえ、このたった1日だけが私達の人生すべてです。
現代、世界は長寿の時代です。17世紀初頭1600年代の平均寿命は今の約半分しかありませんでした。私がその時代の人であったとすれば、もうすでに死んで25年が過ぎている計算になります。
1日が飛び去る様に過ぎて行くのと同様に、人生は一瞬でしかありません。朝が有り、昼が有り、夕が有り、そしてすべての人に夜が来ます。私達には夜があり、そして二度とこの世界へ目覚める事の出来ない1日の終わりを経験するという事実があります。
私達に及んでいる、時速300万キロメートルで移動していると言う物理的現象の事実は、飛び去る人生の早さを現わしているのかも知れません。
まるで動いていない様に感じていたとしても、いつまでもこの心地良い時間のままでいられる様な気がしていたとしても、それはそんな気がしているだけで、広大な宇宙空間を、そして人生の流れを経験し、猛スピードで移動している事実に変わりはありません。
人生は途方もない速度で終わりに向かって進められています。今がどんなに素晴らしい時期であったとしても、それが永遠に続く事はありません。生涯は瞬く間に過ぎ去っています。誰しも今の年齢がいつまでも続くものだと勘違いしてしまい、今の事で頭がいっぱいです。
ですが、地球の動きを止める事が出来ないように、私たちの人生も止める事はできず、むしろ再び目覚める事のない夜に向かいひたすら加速しているのです。
ところであなたの今の時間は、一体、何時なのでしょうか。まだ朝でしょうか。午前中でしょうか、昼は過ぎましたか、午後から夕方までの時間帯の仕事は充実していますか、衰える光の中、夕方になり、夜が来ていますか、着実な夜は、これからより深まります。漆黒の闇はもう目の前でしょうか、もう残り時間が無いでしょうか。
これら時間の経過を止める事はできませんが、人生を一度立ち止まり、地球と私達がとてつもない速度で動いている事を考え、自分の人生の残り時間に対し、より深く、考えを及ばせようとすれば、きっと何かを思いつくことになります。
私達は、もうすでに答えを持っている事を、思い起こす事が出来ます。
どの年代、どの時間であったとしても、自分を大切にすると言う事は、自分の生涯を顧みるという事です。今を立ち止まるという事です。自分が何であるのかを考える事です。
それが出来たならば、必然的に、自分に本当に必要なものが何であるかについて知ることが出来、その入り口に立てる事になります。
そして、その入り口のドア・ノブを握れば、
私達は「我に返る」事が出来、この不可解で奇跡的な人生の謎に理解を深める事になるのだと思います。
0歳 0時 出現
4歳 午前1時12分
7歳 午前2時6分
10歳 午前3時
16歳 午前4時48分
20歳 午前6時6分
24歳 午前7時18分
28歳 午前8時30分
35歳 午前10時36分
40歳 12時6分
45歳 午後1時36分
50歳 午後3時12分
55歳 午後4時42分
60歳 午後6時12分
65歳 午後7時42分
70歳 午後9時12分
75歳 午後10時42分
79歳 午後11時54分