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Stones alive complex (Brookite in Quartz)


「すみません。
リョーコさんのお宅を探しているのですが・・・
教えていただけません?」

宇宙港のビルを出たとたん、ひとりの少女が進路をふさぎ、話しかけてきた。
少女の出で立ちは限りなく黒に近い透明なセーラー服で、透き通るような肌もか弱い骨格をチラリズムさせていた。

キャスター付きの旅行カバンを歩道に立てて、私は少女を見おろした。

「ごめんね。
この町へは初めて来たんで、詳しいことはまるで知らないんだよ。
さっき着いたばかりなんだ」

「そうなんですか。
リョーコさんというのは、私の母の妹なんです」

「あー。
君の、叔母さんってことだね」

「ええ。そうなりますね。
あたしリョーコ叔母さんのアンチパラドックスフィールドを、すぐに止めにゆかなければならないのです。
叔母さんが庭にこしらえたそれを操作して、円環サイクロンを止めななければ、この町は量子力学における双極性自我率の円環が暴走してしまいます。その回転を止められるガッツがあるのは、豊富な専門知識があり、かつ、有り余る思春期衝動と根拠が無い高さの自意識が混濁してる年頃のあたしだけなのです。
だから、急いで行かなければならないんです」

「んーと・・・
アンチパラドックスフィールドって?」

「リョーコさんが一介の主婦の感覚で開発した、まとめ買いすると二割も単価が安くなる、お値打ちなアンチパラドックスアンテナが放射するサイコ電波スのことですよ!
え?ご存知ないのですか?」

「ご存知ないけど・・・」

「なんということでしょう・・・
あなたは、森羅万象すべなく何でも知ってそうな立ち振る舞いで歩道を闊歩なさってたから、全幅の信頼を置いてお尋ねしたのに!
リョーコ叔母さんの個人情報を、一部開示してまでね!」

「なんにも知らないよ!
初対面の少女から、いきなり勝手な憶測で全幅の信頼を与えられても困る!」

「こうなったら包み隠さず事情を聞かせろ!とおっしゃりたい、そんな顔つきですね・・・分かりました。
アンチパラドックスフィールドというのは、特売日を思うがままに変えることができるんです。
リョーコ叔母さんは、特売日だけ野菜と卵が二割引になるのに主婦の金銭感覚が納得いかなくて、因果の時系列を歪め毎日が特売日になる特殊な魔法陣を開発しました。
ところが、野菜と卵の境界設定を哲学的に定義しきれず、野菜や卵を食べる生物は野菜と卵を吸収し同化しているから等価に扱われるようになってしまったのです」

「そういう扱いになると、どうなるの?」

「私たちはみんな、特売日になるんです!
二割引になります。お値打ち品ですよ」

「人の価値に値段なんかはつけられないよ!」

「おっしゃるとおりです。
人は、自分で考える自分の価値と他人が考える自分の価値がありますが、互いに正確な見積もりなどできません。常に気まぐれに変動しています。
なので、計算できないものを計算しようとして、人間の相関関係をアンチパラドックスフィールドがシャッフルしてしまうのです」

「シャッフルって・・・?」

「人間の相関関係が、ランダムに切り離されたり繋げられたりしてしまうのですよ!
代えがたい大切な関係になったり、
赤の他人になったりするのです。
早く止めないと、大変なことになります!
自分の価値を損なってるっぽい、あなたのそのファッションセンスも、もちろん無事ではすみません・・・」

「無事でなくてもいいよ!
これ以上損ないようがないってことは、
充分自覚している!」

横縞Tシャツを、裾広がりジーンズへ入れ直す。

「確かに、そのようですね」

「ほっとけ!
とにかく、そのリョーコ叔母さんの家など、
ぜんぜん知らねーから!」

「ええっ?
リョーコ叔母さんを知らないのですか?
リョーコ叔母さんというのはですね。
私が引き取って育てている身寄りのない可憐な少女なのです。今頃、どこかの試食コーナーの下で膝を抱え、焼きたてウインナーをつまみ食いしながら命のともしびをつなぎ止めているはずよ。
きっと、心細くてむせび泣いているに違いないわ・・・」

「あれ?
お母さんの姉じゃなかったっけ?」

「大変だわ!
もう人間どおしの特売日がシャッフルされて、因果関係が狂い始めてるのよ!」

「早く!
そのアン・・・なんとやらを止めに行けよ!」

「内縁物理学者の兄さんも手伝ってくれなきゃ、あたしだけじゃ無理よ!」

「もう時間がないんだ、愛しい妹よ・・・
おまえだけでも、この黄昏の町から逃げてくれ・・・」

「たったふたりだけの兄妹なのよ!
こんな見知らぬ町へ兄さんを置いて、どこへ逃げろと言うの?」

「ならば、リョーコさんの家を知ってるだろ?
そこへ避難するんだ、今すぐに!」

少女はキャスター付きの旅行カバンをさっとつかみ、後ずさった。

「初対面の男の人に、いきなり命令されても困るんですけど。
あたし、この町のことはよく知らないのよ・・・
さっき空港に着いたばかりで。
そのリョーコさんて、いったい誰なんですか?」

「リョーコさんというのはね。
私の幼なじみで、フィアンセでもあるんだよ・・・
おいおい・・・!
そんなに興味しんしんな顔つきされたら、彼女のことを包み隠さず話すしかないけど・・・かなり長くなるから覚悟したまえ!」

(おわり)

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