夢のようなはなし
どこでも住めるとしたら、と問われたら、夢のような話をしたい。実現可能な範囲だけでの話だけでなく、未来からきたネコ型ロボットを召喚しないと叶えられないような話がしたい。
だって、どこにだって住んでみたい。
青い海の真ん中で、ジャンプするイルカを見ながらランチ。富士山頂と肩を並べて、初日の出を眺め餅を焼く。グランドキャニオンの谷の底で、ひとりぼっちを感じたい。砂漠の真ん中で、おうちプール。オーロラの下の露天風呂。世界の中心と呼ばれる場所で、カラオケでシャウトするのもいい。
それを実現するテクノロジーを私は知らないけれど、こんなのはどうだろう。
地上(地球の地面、大地)から浮くことのできる、可動式の地面を作る。地面となる分厚い板。その板が私有地という扱いとなり、その上に思い思いの家や庭を造る。
その板が魔法の絨毯よろしく、平行を保ったまま、すーっと移動する。浮上も可能なので、上下の移動も叶えるのだ。
ライフラインもその板が支える。まずは上下水道。濾過して循環、貯水もする。ガソリンスタンドの要領で、水を補給したり、汚水を廃棄したりする施設があるといいかもしれない。
次は電気。太陽の力を借りるのはもちろん、板を動かすファンみたいなものが発電できる仕組みだといい。発電システムが詳しくわからないから、具体的に語る手立てがなくて悲しい。電気も充電施設があると安心だろう。
大自然に向かう時、プロパンガスのボンベをいくつも乗せていく。
自給自足できると強いから、大きなプランターにいい土をたくさん入れて、小さな菜園を仕込んでおく。
板が可動する事を考えると、大きな家を建てるとエネルギーを食う。小さい家が人気になるだろう。テントでも生活できそうだ。
私も小さな家を建てよう。家族みんながゆったりできる、ベッドにもなるソファでリビングはぱんぱんになるくらい狭い。そのかわり、天井は信じられない強度のガラスで出来ている。アマゾンのスコールも、氷点下の星空も受け止められる。
小さなキッチンとダイニング。管理が大変だからやっぱりお風呂は室内に。四人家族にトイレがふたつの贅沢。
あとはどこにいっても対応できるような洋服や荷物の部屋。
毎日違う景色と出会えて開放感でいっぱい!と、そうは言ってもひとりの時間は大切だから、順番にだけどひとりになれる小さな部屋もひとつ。漫画や思い出のアルバムや、ストレッチポールなんかを置いておく。
それでおしまいの小さな家。それを夢の床の上に建てて、さあ走りだそう。
そうすると色んなものが追いかけてくる。
『仕事は、学校はどうするの?』『病気になったら?』『それぞれの床が勝手気ままに走ったらぶつかるよ。ルールを作らないと』『とてもじゃないけどウチではそんな床、買えないわ』『床に住む人と地面に住む人、生活に差が出来る。まさに殿上人というつもりか』
ああ、ああ、色んな声が追いかけてくる。夢の世界に踏み出すには、今生きている世界と決別しなくてはならない。今までの当たり前を、当然と言われることを打ち壊したり、無視したり、諦めたり、そんな決意をしなくてはならない。想像しただけでうちのめされそうだ。
大発明をした先人たちの苦悩を思い知る。今までの当たり前を押し付けて、追い縋って邪魔をする人がいただろう。たくさんの声をはねのけて、新しい世界を切り拓いてきてくれたのだ。
その勇気に感謝したい。
私がどこでも住めるとしたらという妄想から、夢のような板を思い描いて、壮大な感謝に至った背景には、リアーナがいる。
先日のスーパーボウルのハーフタイムショーでのパフォーマンスだ。発光して上下に可動する板に乗って、スタジアムのど真ん中に登場した。今まで(私は)見たこともない演出だ。さすがに板は上から吊り下げられていたけれど、空中に浮かび上がるその姿に、未来を見た気がしたのだ。私は少年のように興奮した。どこまでも自分の足で走っていけるような気持ちが湧いてきた。
賛否両論あるらしい。ワイドショー的な話には興味はないけれど。リアーナが妊娠中だったことにも様々な意見があるようだ。心配する気持ちは、私にもある。
けれど最も新しいパフォーマンスの先頭に、母親が立つ。こんなにかっこいいことって、今までなかった。妊娠中でもハーフタイムショーを断らず、この演出をやりきると決めたリアーナを、かっこいい以外のどんな言葉で讃えたらいいかわからない。
そんなふうに感動しているうちに、こんなにも、とりとめのない文章になってしまって困惑している。
最後にリアーナの勇気を借りて、夢をもう一度語る。
どこでも住めるとしたら、どこでも住みたい。SFみたいな世界を夢みていたい。そんな夢物語みたいな未来は来ないって、あなた何年生きてきているのって、そんなふうに言われても。
頭の中はいつだって自由でいたい。
スーパーボウル2023ハーフタイムショーの
リアーナです↑↑↑