3つ子戦記 妊娠編【マクドナルド法の手術】
妊娠10週目以降、大学病院で診てもらうことになった私は、2週間に一度検診に通った。12週目の検診の時、先生からいきなり「手術は来週になりますから入院の手続きをしてくださいね。」と言われた。
え!?なんだって!?手術!?なんの?
先生からの説明不足により大分脳内が混乱した。
多胎妊娠している場合、多くが早産になる可能性が高く、急に子宮頸管長(子宮の入り口の長さ)が短くなる可能性があるため頸管を開かないように縛って縫う手術が必要なのだそうだ。
知ってて当たり前かのように先生は話していたが、そんなこと知るかい!!こちとら初めてなんじゃい!!ってか絶対手術しなきゃダメなの?手術をすること自体が刺激になるよね。そのリスクは?
ものすごい不安感にかられた。
先生にそれはどんな手術なのかたずねると「当院ではマクドナルド法を使います。」との返事。
タラッタッタッター♪という音楽が脳内で再生されそうな名前。おいしそうな名前だな~なんてふと思ったが暢気なことを考えている場合ではない。
多胎児妊娠初期の手術のリスクを考えるとすぐに手術の同意はできなかった。診察の後、看護師さんからも追加で説明(説得)があった。
・マクドナルド法は巾着のように縛るため、縛りやすく抜糸もしやすいこと
・手術のリスクよりも早産のリスクの方が危険性が高いということ
・14週目までしかこの手術は安全に行えないこと
・お腹が大きくなるにつれ、いつ何が起こるかわからなくなるから予防できることはやること
不安はぬぐい切れなかったが看護師さんと話をして内容はわかったので同意書にサインした。
手術は5日間の入院を予定した。MFICUという妊婦専用のICUへ入った。
手術当日から翌日は禁食の札がベットにつけられた。つわりも続いていたので禁食はそこまで辛くなかった。
手術着に着替え手術室に向かった。手術台に乗り、背中から下半身麻酔を入れた。よく痛いと聞くが私はあまり痛みは感じなかった。だんだんと下半身の感覚が鈍くなっていく。触られる感覚はあるが冷たいとか痛いとかはわからなくなったいた。
先生がカーテンの向こうでカチャカチャと手術を進める音だけが聞こえた。
手術自体は30分程度で終わり痛みもなかった。頸管を縛ってある感覚も特になかった。
麻酔が抜ける気持ち悪さとつわりで術後に少し吐いたが基本的には元気だった。
心音計で胎児に異常がないか確認し無事に手術を終えた。
術後2日は体を起こしてはいけなかったので寝たきり状態だった。腹圧をかけてはいけないらしい。トイレにも行けないので尿管に管を通されていた。
トイレに行けない、お風呂に入れない、ご飯が食べられない、起き上がれない、そんな不自由な時間だったが不満を感じる心の余力が私にはなかった。とにかく無事に産む。ただそれだけを目標にそのためならどんな不自由も苦痛も耐えると決めていた。
術後3日目に尿の管が抜かれトイレに行けるようになった。恐る恐る立ち上がり無事にトイレに行けた。しかしまだお風呂には入れなかった。
元々、つわりで体力が激減し介護なしでお風呂に入るのは怖かったので、タオルで体を拭いて過ごした。
術後4日目にお風呂の許可が出た。一人で院内の風呂場まで行って帰ってくる。その距離が異常に遠く険しい道のりに感じた。距離としてはベットから片道30mほどだ。
それでも看護師さんからお風呂入れますよ!やったね!入っておいで!と言われてしまうと断れなかった。嬉しいはずのシャワーは私にとって試練だった。
倒れたらナースコールしよう。そう思いながらヨボヨボとシャワー室に向かい何とか服を脱ぎ椅子に座りシャワーを浴びた。その姿は試合で燃え尽きたボクサーのようだっただろう。息切れしながら体を洗い、拭いて、服を着て病室まで戻った。
妊娠したらシャワーを浴びるのも命がけなんて聞いたことがない。こんなにも体が不自由になるものなのか。私はこのまま大きくなる胎児を支えていけるのか不安になった。
術後5日目。無事、退院できることになった。母に荷物を持ってもらいタクシーで帰宅した。久しぶりの我が家は特に何も変わっていなかった。日々の掃除はルンバがやってくれていた。ありがとうルンバ。可愛いルンバ。
家に帰っても何ができるわけでもなく安静状態は続いた。
その後、ここまで不安はあるが何とか無事に進んでいた妊娠生活に事件が起こる。
それはまた次回に書こうと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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