3つ子戦記【NICUと GCU】
1300〜1700gと小さく産まれてきた我が子たちはNICUに1ヶ月ほどお世話になった。
その頃の私は長期間の入院による筋力の低下と出産のダメージで1人で動ける範囲は家の中だけだったので、面会は夫に車で病院まで連れて行ってもらい夜に会うことしかできなかった。
搾乳した母乳を冷凍して届けた。
ちなみに搾乳機は電動で持ち運びができるメデラのものを使っていた。何分やったかもわかりやすく電動で手が疲れることもなく良い商品だと思う。ただ少し値段が高いので、毎日搾乳しない人にはオススメしない。
NICUにいる間は沐浴もミルクも看護士さんにお任せ状態だった。
コットの中に手を入れて子どもたちに触れて声をかけて帰る日々を繰り返していた。
体重が少しずつ増えて、次はGCUというもう少し大きな子たちがいるところに移動することになった。
その頃には私も自分で車の運転ができるくらいまで体力が回復していた。
ママが出来るお世話はママがする。当たり前のことなのだが、初めてことばかり。
沐浴も授乳もママになってから一度もやってないので、最初は本当に緊張した。
チューブがついたまま外れないように気を付けながら、ほにゃほにゃの小さい体を手早く洗って拭いて保湿してオムツつけて服を着せる。
1人やるだけで腰が爆発するほど痛くなるしドッと疲れた。
これを看護士さんや他のお母さんたちも気にしながら3人こなすのは大変だった。
日々やっていても中々上手くできない。
もたもたしてると子供も体力を使ってしまうので手早くやらなければいけないのだが、怖くて慣れなくて、もたついてしまう。
優しい看護士さんからは、ママ大丈夫だよ。上手くできてるよ。なんて言ってもらえたが、年配の看護士さんからは、あーもーダメダメなんて言われた。
沐浴一つまともに出来ないなんて私は母として3人お世話していけるのだろうかと日々不安だった。
ママ、大丈夫?
そう聞かれる度に不安が増した。
そんなんでやってけるの?大丈夫なの?と問い詰められている気がした。
こっちが聞きたい。果たして私はこれで大丈夫なの?誰か教えて!
毎日、毎日、看護士さんから大丈夫?大丈夫?と聞かれるのがストレスで、ついには病室の廊下で1人泣いた。
3つ子育児が過酷なのは聞いているが、体験しないことには何をどうしたらいいかなんて分からない。子育てに正解なんてない。
それを初めから疑われても困る。
メソメソが段々とイライラに変わり、何クソ何だってやってやるという根性が芽生えた。
退院するのは体重が2000gを超えてから。
それまで私は病院と子供たちと自分と戦うことになった。
長くなってきたので続きはまた次回に書きます。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
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