墓所の主VSナウシカ
今日の3つのテーマ
①争わない人間に心やクオリアはあるか?
②心やクオリアがあった場合、
どんなクオリアがあったら争わない人間になるか?
③争わない人間だけで形成された世界は後にどんな世界になっていくのか?
・争わない人間に心やクオリアはあるか?
・心やクオリアがあった場合、
どんなクオリアがあったら争わない人間になるか?
感覚の共有→感情の共有→記憶の共有→クオリアの形成→意識
①感覚を発達させる:
生まれた時から、子供はさまざまな感覚を通じて世界を経験します。
色、音、触感など
争わない人間にはどんな感覚があるのか?
②感情の認識:
感覚が身についたら次は感情です
人間が持つ喜怒哀楽は自然な感情ですが
争いを起こさない人間にはどんな感情があるのか?
③家族の特徴(共感の形成と言葉の表現)
次に共感の育成です。
他者の感情や立場を理解し、共感する能力を育てます。
これには、他者の視点を考える訓練が必要で
それを学ぶ一番最初の場所は家族です
家族がいかに子供の感情を共有し
共感した聞き手になるかが重要になってきます
感覚や感情と共感が作れたら
今度はそれを言葉で表現する必要があります
感覚や感情が閉じられてしまうと
閉じたものを表現するので
コミュニケーションがとても表面的で
違和感を与えてしまうんですね
学校のいじめはよくこれがきっかけで起きることが多いです
争わない人間に家族がいたとしたら
その家族の共感する姿勢や言葉の表現はどんな特徴があるか?
⑤社会構造の変化:
争わない人間だけで構成された社会は、持続可能なものか?
ナウシカの考え
実は人間の不安とワクワクの感覚ってとても似ていて
その違いが人間には非常にわかりずらいと言われています
全てが満たされた世界とは完全な安定や満足が続く世界なので
逆に人間は不安を感じてしまう
どういう事かというと
これは心理学でいう「ユートピアのジレンマ」とも言われていて
理想的な社会とは状況を追求すると
予期しない問題や逆効果が
起きると可能性があると言われていることで
ようするに完璧と思われる環境や社会が
実際には人間の成長、幸福、や満足感に
悪影響を及ぼす可能性があるという
パラドックスを示しています
具体的には以下の3つがあります
1.退屈と刺激の欠如:
完全に安全で予測可能なユートピアでは、
挑戦やリスクがなくなり、人々は成長や学習の機会を失います。
これにより、人々の生活が退屈で刺激に乏しくなり
幸福感が低下する可能性があります。
2.自由の制限:
社会の完全な調和や秩序を維持するためには、
しばしば個人の自由が制限されることがあります。
このような制約は、創造性や自己表現の抑圧につながり、
個人の満足度を下げることになります。
3.均質化と多様性の喪失:
ある種のユートピア的ビジョンでは、
全員が同じ価値観や生活様式を共有することが理想とされますが、
これは多様性の喪失につながります。
異なる文化、アイデア、視点の豊かさが失われると
社会の創造性や適応性が低下します。
未来の展望:
表面的には理想的に見える社会でも、
その下には隠れた不平等や不正が存在する可能性があります。
ユートピアの追求が、
実際には一部の人々による支配や搾取を
正当化することになりかねません。
ようするに、理想を追求する際には
考慮する必要な事項があります
完璧な社会を目指すことの価値は認められつつも、
その過程で人間性の本質的な側面や
個人の幸福が犠牲にならないように注意が必要です。
また、理想的な状態を目指すことが
逆に新たな問題を生み出す可能性が
あることを認識することが重要です。
このような社会が直面するであろう可能性について
争わない人間がつくる世界は未来に
どんな現実になる可能性があるか?
またそれが世界に対して持つ意味について考えます。
まとめ
どんなに強制的に平和を作り続けようとしても
ピアノの上の異なるリズムのメトロノームが
いずれ同じリズムでカチカチいうように
隣の人が不安を感じるとその振動に影響されて
その隣の人が反応していくんです
偏った状態は永続はせずに
平和な時代は長くは続かない
ナウシカが感じた違和感はここにありました
バランスがとれた状態っていうのは
光だけの世界のことじゃなく
清浄と汚濁、光と闇の両方あるから
この世はバランスがとれていることになります
ナウシカはそこを感じて墓所の主の考えに反発したのでした
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