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数々の腐敗した疑獄事件を起こした安倍晋三が最後まで訴追されなかった理由~「国家訴追主義」と「起訴便宜主義」~

安倍晋三は総理在任中、森友・加計学園・桜を見る会事件、河合夫妻1億5千万円問題、統一教会の守護神疑惑、安部友の東京高検黒川検事長を検事総長に付けようと画策した検察人事介入など数々の疑獄・不正事件を起こしてきた稀に見る腐敗した総理大臣だった。しかし、大騒ぎになった割には結末が尻切れとんぼで、どの事件もうやむやのうちに終わってしまっている。

それぞれの事件は弁護士や市民団体などから地検に刑事告発状が出されているが、検察はすべて不起訴扱いにして全く動こうとしなかった。また、告発者が検察審査会に対して不服申し立てを行っても「起訴議決」が出されることはなく、これまで起訴に至ったものは1件もない。

「国家訴追主義」と「私人訴追主義」

日本の検察制度は検察審査会を除き、国家・検察官のみが公訴権を独占する「国家訴追主義」をとっているが、検察庁は政府の支配下に置かれているため与党政治家を起訴すること自体が極めて難しくハードルが高い。

特に安倍晋三のように独裁的で強大な支配力をもつ権力者に対しては告発があっても検察庁上層部が忖度して握りつぶし、たとえ現場の検察官が起訴したいと思っても実際には手も足もせ出ない。 

また、忖度どころか、現在大問題になっている「統一教会」に対する過去の事件の捜査では、「統一教会の守護神」安倍が「陰の指揮権発動」を行って捜査中止を指示。捜査当局及び検察がそれに唯々諾々と従っていたいた疑いが濃厚である。

この件について7月18日の「モーニングショー」の最後で有田芳生氏が次のように語っている。

「警視庁幹部の二人に聴いたんです。何でオウムの次は統一教会だって言ったのにダメだったんですか?」
「政治の力だった。」と。
「圧力。」

有田氏が「圧力。」と言ったとたん、スタジオ内が一瞬静まり返って凍り付いたのがありあり。安倍晋三の名前が直接出た訳ではないが、羽鳥慎一も玉川徹も何とも形容のしようがない微妙な表情をしていた。

近年、警察に対する政治的圧力のメカニズムの一端が明確に可視化される事件があった。それが「伊藤詩織さんレイプ事件」における安倍友山口敬之の逮捕中止命令。

現場の操作員が空港で山口を逮捕する寸前に逮捕取りやめを指示し、山口敬之を救った中村格(当時刑事部長)は、その後、安倍晋三のお声がかりで警察庁長官にまで大出世している。

「週刊新潮」の記事では、山口敬之が「週刊新潮」に誤送信したメールの文面から、山口が安倍官邸の北村滋内閣情報官(元警察官僚)に泣きついていたのではないかと推測している。山口が官邸中枢の北村滋にまで相談していたのだとすれば、安倍本人がこれを知らない訳がない。

民間人のエセジャーナリストである「お友だち」の性犯罪を揉み消すためなら、このような横紙破りの脱法行為すら平気でやってのける恥知らずのサイコパスがこの国の総理なのだ。まして自分自身や身内、自民党議員などに捜査の手が及ぼうとした場合、同じ事をやらないはずがない。

自民党の最高権力者としての威光と影響力をフルに使えば、「陰の指揮権発動」同然のもみ消し隠蔽工作など朝飯前だろう。

最高裁が「違憲立法審査権」を事実上放棄してしまったため政府が平気で違憲違法行為を繰り返すようになったのと同様、どれほど与党議員や関係者の腐敗不正事件が表面化しようと検察はほとんど訴追せず、うやむやにしてしまうのはそういう訳だ。

「陰の指揮権発動」と検察上層部の忖度のため、安倍をはじめ与党政治家とその周辺は不正のやり放題・利権の漁り放題で、巨額の税金をいくら私物化し、食い物にしても手が後ろにまわることはないと確信している。

政府から独立していない日本の検察は本来の使命を忘れ、最高裁と同じように自民党が支配する「権威主義国家日本」を守るために「強きを助け弱きを挫く」仕事に精を出しているからだ。

以上のように自民党の長期一強体制の下では「国家訴追主義」の日本の検察は与党政治家に対して無力で、法治国家の司法機関として全く機能していない。

このような状態を抜本的に改めるためには、政治家や高級官僚などが関係する政界絡みの汚職・不正事件等に関しては例外的に特別検察官による「私人訴追制度」を日本にも導入する必要がある。

特別検察官は弁護士などから任用され、政府から独立して政治家などに対する公訴を行う。検察とは違って政府に忖度したり、指揮命令を受けたりする事もないので、公訴の可否を公正に判断することができる。

この制度が出来ていれば、不正腐敗のデパート安倍晋三は何度も起訴されて服役し、今頃は刑務所の中。そうなれば山上容疑者に狙撃されて、大日本帝国復活という「美しい国日本」を取り戻す「道半ば」で命を落とす事もなかっただろう。

この「私人訴追制度」によって、これまでやり放題だった与党議員は不正行為がバレれば特別検察官に訴追されて有罪となり、刑務所送りになる恐れが格段に高まる。

この抑止効果により、汚職や脱税などの犯罪や不祥事の総合商社「維新」も含めた政治家の不正腐敗行為は減少し、それなりに政界が浄化されるはずだ。

世界に目を向けると、アメリカ、ドイツ、フランスなどは「国家訴追主義」の国。ただし、米国は大統領や閣僚が不正に関与した疑いがある場合は、司法長官が任命する特別検察官が捜査・訴追にあたる事が制度化され、実際に機能している。ただし司法長官が任命するところが弱点で、追及が中途半端に終わる事も多い。

これに対し、イギリスは「私人訴追主義」を採用している。

頻繁に政権交代が起きる民主主義国では、政権交代自体が汚職や政治腐敗の抑止になっている。しかし、政権交代のない民主主義の皮を被った「権威主義国家日本」は、事実上の自民党一党独裁体制。だからこそ、日本では政治事件に限定した「私人訴追制度」が必要なのだ。

「起訴便宜主義」と「起訴法定主義」

日本の検察制度で、「国家訴追主義」と並んで問題なのが「起訴便宜主義」。

訴追には、検察官の裁量権が認められている「起訴便宜主義」と検察官の裁量権を認めず公訴要件を満たしていれば必ず起訴しなければならない「起訴法定主義」とがある。例えば、ドイツでは不当な政治的介入を防止する観点から検察官の裁量を認めない『起訴法定主義』をとっている。

日本は戦前から「起訴便宜主義」を採用しており、起訴するか否かの幅広い裁量権が検察官に与えられている。

裁量権の根拠は、刑事訴訟法 248 条「犯人の 性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないと きは、公訴を提起しないことができる」に基づいている。

日本の公訴制度が特異なのは、微罪から重大犯罪まであらゆる犯罪に「起訴便宜主義」が認められている事。これ程広い裁量権が認められている国は日本だけ。フランスなど「起訴便宜主義」を採用している国で裁量権が認められているのは、微罪または少年事件に限られている。

このため、生活困窮者がコンビニでパン1個盗んだだけでも情け容赦なく厳格に起訴されるのに、権力を持つ与党議員は犯罪を犯しても検察が忖度して起訴されないという法の下の不平等が平気でまかり通ってしまうという異常な事態になっている。

そもそも検察庁は政府から独立した司法機関ではなく法務省に属する特別行政機関であり、法務大臣の指揮監督を受ける立場にある。政府の一員なのだから、「現体制を守る」というインセンティブが働くのは当然だろう。

「起訴便宜主義」は人を見て起訴するかどうか決めるのだから、告発された被疑者が国会議員、それも権力を持つ与党議員だと色々面倒な事になるので、起訴要件を満たしていてもなるべく訴追したくないという忖度が働く。

ましてや、告発を受けた当人が長期間日本を支配して来た与党自民党の最高権力者安倍晋三であれば、政治的配慮が働かないはずがない。検察は裁量権を最大限に悪用して何度告発があろうとも絶対に起訴せず、安倍晋三を守る事に全力を挙げるはずだ。

つまり、日本の権力者は上述した「国家訴追主義」と「起訴便宜主義」という二重の防火壁で守られている特権階級であり、この厚い壁を崩すためには、権力犯罪件限定で「私人訴追主義」か「起訴法定主義」のどちらかを採用する必要があるという事だ。

政権が交代したら、ぜひどちらかの制度を速やかに導入してもらいたい。

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