日記:恨み節、旅立った愛する人よ
怒涛の3日間が終わろうとしている。亡くなってしまった祖父の葬式だった。
私は自信があった。遅からず別れの時が近いと覚悟を決めていたのだから、その覚悟を持って見送れば永遠の別れの悲しみ以上に誇り高く見送れるだろうと。
私は分かっていなかった。故人をしのぶ時、関わった人たちの心をくっきりと映し出されることの残酷さを。
それは祖父の娘、つまり私の母の、天に聞こえるように大きな声で祖父の遺体に向かって叫ぶ「ごめんね間に合わなくて、もう少し早く来ればよかったね」の意味を理解した瞬間だった。
家の玄関で倒れ込んだ祖父を最初に見つけた、第1発見者は母だった。この頃、母は毎日のように祖父母の介護に精を出していた。
その日も齢90を過ぎてインフルエンザと診断された祖父のことを気にして、朝昼晩と3度目の様子の確認をするために家を訪れたばかりだったらしい。昼に別れてから3時間しか経っていなかったと聞いた。
「悪い予感がしたのよ、何の根拠もないけれど不安になって、夕方6時には必ず様子を見に来るからねって言い残して一旦帰って、ちょっと用事を済ませて、あぁ6時を少し過ぎちゃうなって思いながら車を回してね」
母が異変に気がついた時は、祖父は意識を失っていたもののまだ生きていた。もしかすると倒れて数分も経っていなかったのかもしれない。それならもう少しだけ早く行けば間に合ったかもしれないのに、という事らしい。
通夜の間は一言もそんなことを言わなかったのに、一晩経ってその悔しさが溢れてきたのか、葬式で何度もごめん、ごめんと語りかける母の姿はとてもじゃないが耐えられなかった。
身も心も削る過酷な介護を続けて3年が経とうとしていた。すり減る事しか無い日々の中で、なんの根拠も無く日に3度も様子を伺いに行くほどの献身ぶりに、文句の付けようはずも無い。
ここまで身を尽くした結果が永遠に取り返しのつかぬ後悔で終わること、その後悔を取り除けたはずのたった一人の人物はもうこの世にいないこと、残された人たちに母の苦しみを救う方法など誰も持ち合わせていないこと。
到底、筆舌に尽くし難い。こんなのあんまりじゃないか。母が何をしたっていうんだ?
祖父よ、かなうのならば今すぐそこから起き上がってありがとうでもごめんでも、なんでもいいから声をかけてやってくれよ。お前の目の前にいるのは残された娘なんだよ。何もかもを投げうつ覚悟でお前を支えた愛娘だっただろ。何やってんだよ。
みんな口々にありがとう、ありがとう、良いお父さんだったと褒めているから、溺愛の孫の俺だけはお前を叱って恨んでおくよ。丁度いいだろう?礼には及ばないさ。あなたの特別な自慢の孫だからね。誰にもできないことをやってあげよう。これで少しはしゃっきりするだろ、向こうでも。恨まれて悔しいなら化けてでも娘に感謝を伝えに来るんだな。
葬式が終わってから、母と2人きりでもう誰も住むことの無いぼろぼろの祖父の家を見に行った。母たっての希望で、最後にその光景を焼き付けておいて欲しかったらしい。
玄関に倒れ込むその瞬間まで、祖父は精力的に動き続けようとしていたらしく、その場に猫の餌の補充をしている痕跡が残されていた。齢90を過ぎた老人性インフルエンザ感染者だぞ?何やってるんだ?あきれた。なんて生命力だ。普通は寝たきりだろうに。
そこで初めて、葬式の時だって出なかった涙が零れた。
汚れて荒れ果てたその場所は、力の限り老いと闘い続けた親子が刻んだ証しそのものだった。
私は生涯、この日を忘れる事は無いだろう。
後日談、備忘録
次の日、私は東京へ戻る事にした。実家にいても大した役には立ちそうにもない、大学の授業のこともある。
忙しい間をぬって、母がバス停まで見送りに来てくれた。葬式の前までとある用事で頻繁に電話をしていたことを思い出し、「これからは少し電話もしやすくなるね。今まで手伝いで忙しくて土曜の深夜しか話す時間が無かったじゃない。」と告げるとそうね、とだけ言って押し黙ってしまった。
そう、そうよ、忙しかったのよ、お父さんと顔を合わせる度に怒っていたの、もっとこうしてちょうだいって、でももっと迷惑がかかったって良かった、それでも良かったからもう少しだけでも…
少し黙ったと思えば、目を真っ赤にしながら堰を切ったようにそう吐き続ける母にかける言葉など見つかるはずも無い。
この母は、愛する人にどこまでも長生きして欲しいと願う人らしい。私も長生きしてねと耳にたこができるほど願われてきた。1度も疑ったことなど無かったが、その言葉が決して嘘では無いのだと改めて我が身にも降りかかる思いがした。
もし私がこの年老いた背中よりも先に旅立つことになったらどうなるだろう?全く考えたくないものだ。もうこんな姿を、ましてや自分のせいでこんな姿にさせるのは絶対に嫌だ。
決めた。私は絶対に長生きする。せめてこの手で母を見送るまで、何が何でも悲しませる訳にはいかないのだ。