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【探求】はたして? 親だから、子どもを愛さなければならない!! は誠なのか

親だから、子どもを愛しているに決まっている

~酔っぱらいの、戯言です( ´艸`)~

わたしは、迷うことも 疑うこともなく

ずっとそう思って生きてきた

だけど?

だから?

この数ヶ月、ずっと苦しい



朝目覚めた時に

真っ先に娘のことを思う

それは

元気でいるか? とか

そういった 暖かい感情ではない



この気持ちを どんな言葉で表していいのか分らないが

『ドブネズミ色』と言ったようなイメージだ



冷たい 感情 というものは

現実的にも身体を硬直させる

わたしは
毎日毎日 足取りが重い

毎日毎日  股関節の動きが悪い

そんな日々を過ごしていた




小春日和のぽかぽかとした中で

昼マックをしながら道行く人を眺めている時にふと



何のために こんなに嫌な思いを

何ヶ月も 毎日続けているのだろう

と思った


あ。。そっか

わたしのドブネズミ色の感情は・・『イヤ』なんだ・・・



そして

forが分からない



親だから?

親なら、何でも我慢するべきなの?

それが、『誠』なのだろうか

自分の思考を理解すると

自分の感情にも気がつくようになる




感情がわかると

自分の求めていることニーズ

わかるようになる



わたしの、ニーズは何なのだろう?


自分が産んだ子だから可愛いのか?

自分に似ているから 愛おしいのか?

自分の思うように勉強するから可愛がるのか?

自分の言うことを聞くから 愛しいのか?

どれも、違うと感じる



基準は【わたし】では無いと感じる

わたしは何の為に、、、
ドブネズミ色の感情を大事に持ち続けているのか?


持ち続けると、わたしのどんなニーズを満たしてくれるのか?




子どもは未来を担う存在であり、社会の発展に貢献するものである

次世代を育成することは、社会全体の希望につながる行為
わたしは行っている

だから、褒めて

といった、ところだろうか・・・・



だけど、わたしはドブネズミ色・・・『イヤ』なんだよね。。。。

何よりも、誰もわたしを褒めてくれないもん・・・



この話・・・まず、
前提が間違っている



子どもは未来を担う存在では あるかもしれない

多分、これは正解だろうけれども



だけど・・・

社会の発展に貢献するもので あるとは限らない


例えば、数日前の報道に

愛知県の16歳の男子高校生が、SNSを通じて知り合った人物に誘われ、

ミャンマーにある特殊詐欺グループのかけこをしていた

というものがある


この子どもは、社会発展に貢献したと判断できますか?


警察の調査に対して高校生は

「日本の今の環境から逃げ出したかった」

新しい環境に身を置きたかった」

お金を稼ぎたかった」などと話しているという


何だか。。。イマドキっぽい主張だよね

環境悪いんですね

子ども、悪くないんですね


 

最近の大人は、わたしも含め
この主張に理路整然と言い返すことが出来ない


な~んか、言いくるめられてしまう


娘も同じことを主張している


家にいると4にたくなる。
だから、命を自分を守るために家から逃げ出したい

新しい環境(お父さんのアパート)でやりなおしたい

自分で、お金を稼ぎたい



もっともらしい言葉を並べている・・・



だからなのか?

中学校の先生たちは、娘を清い道へ導けない



生徒の人権が・・・

生徒に訴えられたら。。。



学校がそんな保身ばかり優先するから

『子どもは無敵な人だ』と勘違いをする

そして、センセは親に
『子どもの言いなりするのが 子どもの為』と強要する



それは・・・愛じゃないでしょ
自分だけを、安全なところに起きたいんでしょ~



だけど
子ども、大人をたくみに支配しようとしている


これはもはや、ただのパワーゲームじゃないの?
平和ボケじゃないかな~

殆どの場合は、弱者を装った子どもが勝つ


ドブネズミは一度住み着くと、なかなか駆除できない



たくましいドブネズミ・・・だよ


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