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私は中年になれるのだろうか【パーティーが終わって、中年が始まる】

phaさんの新刊を読んだ。

発売してからのイベントや、レビューしてる人を見てると欲しくなった。

何かが喪われてしまった話が多く、切なくなるがあとがきで「中年以降は美しさを目指したい」とあった。

たしかにこの本は詩的な話もあり、美しいと思った。

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本の概要

「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。
何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。
この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。
喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より
若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

この本がNHKのミッドライフクライシスの回で取り上げられていたが、この本は違うと思った。

ミッドライフクライシス

中年の危機とは、中年期特有の心理的危機、また中高年が陥る鬱病や不安障害のことをいう。

そういった視点の話は多いとは思う。でも違う。

ミッドライフクライシスに陥ってる人の話をいくつか読んだが、彼らは自分の話ばかりだった。

自分は大丈夫なのか、自分は他人よりも利益を得られていない、もっと幸福のある生活がしたい。

などなど自分のことばかり。

中年と言える年代になったら、ほんの少しでもいいから下の世代に向かって動いてほしいと思う。

私も今からそうありたい。すくなくとも下の世代を邪魔したり、追い込むようなことはしないし言わないようにはしてる。

著者はギーク寄りの人で、web2.0を体現されており基本は「共有」を大切にされている。

シェアハウス時代も、他人のために動いている様子は見てとれたしその環境を用意し続けたのは素晴らしい。

私も憧れてシェアハウスしたことがあるが、玄関開けっぱなしで半分プライベートが無くなった環境はトラブルも起きる。

私はある時期からリビングで寝るようになり、人が集まるときだけ私の布団が弾かれる。

1人一部屋持っていて、全員が満足する環境は難しく楽しい思い出とともに、その苦労もあった。

彼なりに感じるミッドライフクライシスは、この本から感じるがそれは一般と同じように語っていいものではなかった。

またこの本はタイトルだけで物議を醸した。

パーティのような感覚を味わったことないとか、中年でも楽しいとかそういう本を読まない層の意見だった。

著者の個人的感覚として、パーティが終わって中年が始まったと語っているのに何故か一般化された。

本が読めない層というのはこういう飛躍をしがちである。

この本で驚いたのは、飼われていた猫が亡くなったことと猫を譲ってくれた友だちが消息不明になっていた話だ。

猫をいくつかの家にゆずったその彼のように、優しい人はどこかで楽しく過ごしていて欲しいと知らない人にたいして思った。

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