アラフィフ女子、オペ決める
気付くとアラフィフに入った、SLE(全身性エリテマトーデス)女子。まずは、貧血のおはなし。
40代になってからは、回復力もますます落ち、更に寝込むことも増えていた。
もともと、貧血気味だったが、確かにここ数年悪化していた。鉄剤が合わず(吐き気が酷く続けられなかった)治療も途中で中断、また、SLE自体の倦怠感のせいだと思い込み、そんなに気にしていなかった。
それが昨年、一気に悪化していた。後から見直すと、検査値も急降下。常にめまいがし、目の前が真っ暗になり、立ってられない。いや、座って自分の身体を起こしておくのさえ、至難の技になりつつあった。
SLEも、再燃に向かっているような感じで、まずはそっちを抑えれば良くなるんじゃないかと思っていた。
が、まともに身体を起こすことも厳しく、朝起きるのはもはや気合い以外の何者でもなかった。
職場の階段から2度落ち(誰にも言わなかったけど)、またパレットで自分の足を轢いて(これも、ぐっと耐えた。足の爪の血豆がやっと爪上部にきた)、最後のとどめに職場で倒れて立ち上がれなくなって、これはヤバいと自分でようやく諦めた。
周りに迷惑をかけるし、自分の身体への負担も少しでも軽くしたくて、仕事も事務オンリーへ異動させてもらった。
しかし、一向に回復しない、血液検査の値。
実は昨年末には、新しく承認されたフェインジェクト(鉄の点滴。エグい量入ってる)も試した。が、数ヶ月しかもたなかった。
今年に入って、こちらも懸念事項である大腿骨骨頭壊死疑いで撮ったMRIで、なんと子宮筋腫が判明した。それもかなり大きいらしい。
確かに、そう言われれば思い当たる節だらけである。
もともと、月経困難症並みにいろいろと酷かったのだ(このあたりは、また別に記録として書いておこうと思っている)。しかし、この2年ほどは酷いを通り越していた、気がする。人間、良くできているもので、痛みには徐々に慣れていってしまうし、月に一度の殺人現場のような、血がどっばーな惨状もあとの約三週間で忘れてしまうのだ。
まぁとにかく、あわてて検索しまくった子宮筋腫のページに出てくる症状は、まさに私の惨状そのものだったのだ。
う~ん、ある日気付いたら『あれ、消えてますね』なぁんてことはないのか?胆石がいつの間にか消える(流れる)という、ある種の成功体験のある私は、かなりの確率であるんじゃないか、、、と思ったが、、いや、ないでしょ、と主治医に一笑される。
年齢を考えたら、オペ一択です、らしい。
いや待てよ。こちとらアラフィフになりやしたよ。これ、閉経までなんとか逃げ切れるんじゃね?センセ。『あの、筋腫があると、延びますね~』
はいっ?なんと、こんなに待ち望もうとした閉経は、容赦なく数年延び、今から下手したらまだ8年ぐらいは続くらしい。無理だ、そんなに長くずっと点滴で鉄を補充しながら、しかも激痛に耐え、毎月殺人現場が発生するのだ。
2ヶ月悩んで、私はついにオペすることを決心した、、、のだが、次なる決断を迫られることになる。
筋腫核摘出か、子宮全摘出か。
オペの日は3月8日に決まった。SLE的に開腹式は耐えられないだろうということで、腹腔鏡。さぁ術式をどうするか。
なんで?またここにきて、『あんた、忘れてたよ』てな感じで人生が迫ってきた、決断を。逃げられない。
これは、アラフィフ、未婚、子なし女子のオペまでの記録である。
続く。